企業のための「障害者雇用促進法」読本 ~その誕生から「2010年以後」の改正ポイントまで~
第一回「企業の障害者雇用」は第一次大戦後から始まった
第1回: 丹下 一男 (ATARIMAEプロジェクト障害者雇用アドバイザー)
――障害者雇用促進法の原型が、昭和35年、東京オリンピックの3年前にすでに制定されていたとは、意外に感じる人も多いと思います。
昭和22年の「職業安定法」でも障害者雇用についての規定はありました。それが発展して、昭和35年の「身体障害者雇用促進法」となります。背景にあったのが「戦争」です。
1945年の敗戦後、日本では産業が壊滅し、街には失業者が溢れていました。そんな中、負傷した軍人が次々と復員してきます。「傷痍軍人」といっても若い方には何のことかわからないでしょうが、50歳以上の方なら、腕や足を失った人が軍服姿でアコーディオンなどを演奏しながら路上で寄付を求めていた姿をかろうじて覚えているかもしれません。GHQの方針で軍人恩給も廃止され、食べていく道さえ絶たれた彼らに、国としてはなんとか報いなければならない。そこから障害者の雇用を義務付ける法制度が準備されていったのです。
――歴史の中で最初の「障害者」は、戦争で負傷した人だった?
少し大袈裟な話になりますが、「障害者支援はどこから始まったか」という根本のところに関連する話ですので、お許しくださいね。人類の歴史を考えてみますと、まず家族、それから部族、民族(種族)、そして国家という順序でコミュニティが作られていったのだと思います。その過程で当然「戦争」があります。自分たちのために戦ってくれた人には、共同体として尊敬を示さなければなりません。戦死者なら手厚い葬礼という形になりますが、では負傷して帰ってきた人はどうすればいいか。その知恵が、実は障害者支援の原点にあったのではないかと、私は思っています。
――どんな方法がとられたのでしょう。
戦傷者への対策は集団が部族から国家へ拡大するに従い、より明確なルールとして確立していきました。代表的な例がフランスのアンヴァリッド(廃兵院)です。パリでナポレオンの棺が置かれていることで有名な、セーヌ川沿いの美しい建物をご覧になったこともあるかと思います。この建造物はそもそも「太陽王」といわれたルイ14世が、1674年に傷病兵の施設として建立したものです。多くの戦争で負傷した兵士のため作られ、その後も役割を果たしてきました。20世紀という世界大戦の時代に入り、各国は非戦闘員も含む膨大な数の障害者への対応を迫られることになります。
――障害者の「雇用率」も、大戦後には定められていたんですね。
「雇用率」という発想は、フランス、ドイツではすでに第一次大戦の直後に登場していました。負傷の程度によって1%から10%まで、つまり「重い人ならO%、軽い人ならO%は雇わなければダメ」と定められていました。障害者を福祉ではなく雇用で、所得保障の域を超えて、職業安定・リハビリテーションで対応するという試みは、欧米ではこの時期から始まっていたんですね。