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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第6回

地方議員編
「障害者の差別をなくす条例の成立に向かって」

ある知り合いの女性が市議会議員だったころ、朝、出勤のために最寄りの駅に向かうと、その女性がビラを配りながら「△△をよろしくお願いしま〜す!」と声を枯らして叫んでいました。国会議員が群衆を前に街宣カーの上からマイクを持って訴えるシーンは何度も見たことがありますが、日常の中で知り合いが街宣活動しているのは妙に生々しくて、胃袋がギュッとなりました。

地方議員の仕事のフィールドといえば、あの公園の管理をどうするとか、ごみ焼却所の建設がどうとか、自分が暮らしている生活空間と重なるわけです。利権や醜聞も当然のことながら政治には付きものですが、障害のある人の暮らしを守っていくためにはこうした身近な政治の世界でも勝負していかねばならないのです。

小さな声で早口でしゃべられたものだから、最初は何を言っているのかよく聞き取れませんでした。

「どこも間違ってはいないわ。とてもよい案だと思います。私にも障害のある子どもがいるんです。絶対に応援しますから」

千葉県で障害者の差別をなくす条例を全国に先駆けてつくろうとしていた時でした。千葉では堂本暁子県政(〜2009年4月) となって福祉政策などは県民が主体的にかかわるというやり方で障害者計画や地域福祉支援計画や児童計画が次々につくられていきました。その中から障害者差別をなくす条例の原案ができたのですが、こうしたやり方が「議会を軽視している」として県議会の反発を招き、猛烈な批判にあっていました。なんとか県民や議会の理解を得ようと、条例原案をつくった研究会や障害者団体などは各地でタウンミーティングを開催しては地元住民を招いて条例のことを説明したのです。

流山市で夜間に開催されたタウンミーティングには市議会の大物議員たちが何人も参加してくれました。主催者側もたいへんな気の使いようでした。その中にまじっていた小柄な女性県議が小声で私にエールを送ってくれたのです。小宮清子さんという社民党の県議でした。千葉県は伝統的な保守王国で自民党が強い地盤を築いており、当時は県議会の7割を自民党議員が占めているような状況でした。流山でのタウンミーティングでも、保守系の大物市議の存在感が際だっていました。そうした中にあって、障害児の母親である県議が声をひそめるようにして、差別をなくす条例の原案を称賛してくれたのです。

それから県議会の傍聴に何度も通うことになるのですが、障害者条例には厳しい批判が投げつけられるのを嫌というほど見なければなりませんでした。こわもての保守系議員がヤジを堂本知事に飛ばしていると、すぐ前の席にいる小宮議員がいたたまれないような顔で振り返っていました。自民党は当時60以上の議席をもっていたのですが、全員が男性議員です。質問で登壇する女性議員は決まって弱小の他会派で、冷笑しながらやはり品のよろしくないヤジが男性議員から浴びせられていました。

条例は2月議会で継続審査とされ、6月議会では撤回にまで追い込まれ、9月議会に修正した案が提出されて成立しました。最後は自民党の良識派の議員たちが党内を懸命に説得し、自民党の意向に沿うように内容を修正したのでした。

小宮議員ら他会派にとってはおもしろいはずはありません。自分たちが賛成した原案を反故にしておいて、県当局と私たち研究会と自民党とが妥協して勝手に修正案をつくって提出してきたのですから。9月議会で小宮議員と2度ほど立ち話をする機会がありましたが、悔しさと戸惑いを隠せない様子で口ごもっていたのが印象に残っています。私はなんとも申し訳ないような思いが募ってきました。それでも、小宮議員は採決では賛成してくれました。その小さな背中を傍聴席から私は見ていました。

岩手県議会の真摯な取組み

千葉の障害者条例ができて1年が過ぎたころ、岩手県議会の若い男性議員2人が東京の会社に私を訪ねてきました。

「岩手県でも障害者差別をなくす条例をなんとしてもつくりたい。いろいろ教えてもらえませんか」

2人は食い入るように条例の成立過程での苦労話に耳を傾けてくれました。そのうち涙で目がにじみ、それも忘れたかのように熱く語り合いました。1人は社民党の議員できょうだいに障害者がいる人でした。もう1人は自民党の議員で子どもに障害があるといいます。2人のせっぱ詰った真剣さの理由がわかりました。こういうところにも障害者の家族がいて、地方政治のリアルな現実の中で懸命に闘っているのだと思ったら、私は胸が一杯になってきました。

それからこの2人が中心になって動き、岩手県議会に私は招かれ、全議員がそろう中で千葉県の条例づくりの話をさせてもらいました。ヤジと批判にまみれていたころの千葉県議会とはかなり違い、党派を超えてこのテーマに真摯に向かい合っている空気が伝わってきました。終わった後は何人もの議員と名刺を交換しながら、岩手での状況について話をうかがうことができました。

その後、この2人の議員に連れられて、盛岡駅近くの焼き肉店に入りました。計4人の熱心な議員と最終の新幹線が出るまでビールの杯を傾けました。途中で県の部長が飛び入りでやってきて、議論に加わりました。

岩手県議会では障害者差別をなくす条例を制定することを決議し、現在は(2009年2月) その作業を進めています。千葉から起きた運動は岩手だけでなく、北海道や愛知県や三重県でも動き出しています。

地方議会の形骸化が言われて久しいのですが、そうではない側面を千葉でも岩手でも見ることができました。議会を活性化させているのが障害者をめぐるテーマであって、障害のある子がいる議員がその渦中にいるということはやはり感慨深いものがあります。

しかし、よく考えてみれば、競争と自己責任を推進する新自由主義がこの国を席巻し格差が広がっていく中で、自分で自分のことを守れない無防備な障害者をどうやって守っていくのかというのは、まさに政治に突きつけられた重要な問題ではないのかと思います。それは障害者という枠を超えて、これからの社会をどう築いていくのか、地方政治という生々しい現実を扱うわりには形骸化を指摘される世界をどう再生していくのかが問われているように思えるのです。

障害児の親の地方議員が各地で動き出す

障害のある子やきょうだいがいる彼らがなぜ議員になったのか、それぞれに理由があるのでしょう。しかし、障害者と暮らしていく中で、障害者の存在がさまざまな問題意識を彼らに芽生えさせ、社会に目を開かせていったであろうことは想像に難くありません。

障害のある子が生まれると、幼いころから無理解や偏見の視線にさらされ、教育や医療や福祉や交通や住居など生活にかかわるあらゆる分野で目に見えない障壁にぶつかることになります。この国の社会の素顔はけっして障害のある人や家族にとってやさしいものではありません。しかし、それは障害者にとってだけなのでしょうか。豊かさを経済成長を追い求め、それをかなり達成しながらも豊かさを実感できないジレンマの中で現代の日本社会はもがき苦しんでいるように思えます。経済的なデータで表された国力などではなく、身近な暮らしの中にしか豊かさを実感できるものを見出すことはできません。

北海道にも神奈川にも宮崎にも障害の子をもつ地方議員がいます。いや、私が知っている範囲が小さすぎるだけであって、全国どこでも障害のある子をもつ議員はいるのかもしれません。障害のある子にInspire(=吹き込む、鼓舞する)された鋭敏であたたかい問題意識が社会を変えて行ってくれることを期待したいと思います。