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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第5回

作家編2
「文学を決定づけた障害者の子供の存在」

大江健三郎という作家は知的障害のある長男が生まれなければ、はたしてノーベル賞を取るほどの大作家になったでしょうか。

現実に大江氏は障害のある長男を主題にした小説をいくつも世に出してきました。しかし、当然のことながら、障害児を授かった人の誰もが大江氏のような才能を持っているわけはなく、大江氏にしたところで障害のある子が生まれなければまた別のテーマで文学の才能を咲かせて見せたのかもしれないのです。

私たちが生きているこの宇宙の森羅万象のいったい何が、ひとりの作家の内にある才能を刺激し芸術として昇華させていくのかは予測がつくものではないでしょう。

しかし、それでもなお、私は知的障害の子をもった父親という属性が、大江健三郎という作家を巨人たらしめている本質ではないのかと思えてなりません。

私の長男に障害があることがわかって間もないころ、大江氏の講演会に出かけたことがあります。そこで、大江氏自身が知的障害のある長男の誕生なくしては現在の作家活動が成り立っていなかったであろうことを率直に感じていることを知りました。

大江健三郎における長男の存在

東京大学在学中に早くも小説の才能を開花させた大江氏は「飼育」で芥川賞を受賞しました。当時23歳。戦後の文壇の新しい風として一躍脚光を浴び、執筆依頼が殺到したそうです。若き芥川賞作家は小説の着想がわき出るのに任せて執筆に没頭する日々を送ることになりました。浅沼稲次郎刺殺事件を題材にした「セブンティーン」などがそのころの作品です。

ところが、ある編集者から「このままでは、才能が枯れ果ててしまう。しばらく書くのをやめてはどうか」と忠告されたといいます。後にノンフィクション作家として歴史に残る作品をいくつも残すことになる澤地久枝さんがその人でした。優れた編集者の目が、才能あふれる若い作家の危機を感じ取ったのかもしれません。

それからしばらくして、澤地編集者の予言通り、大江さんは執筆活動に行き詰まりを感じるようになってきたそうです。サルトルなど実存主義の影響を強く受け、独自の感性と文体で刺激的な作品を生み続けてきた大江さんに転機が訪れたのです。勢いを失えば若さはむしろ焦燥を高じさせるもので、もがけばもがくほど砂の中に埋もれていく感じだったのかもしれません。

ちょうどそのころ生まれたのが長男の光さんでした。重い知的障害を伴って生まれてきたわが子の死を願い、それを想像力で乗り越えようとする小説家を描いた「個人的な体験」の主人公はまさに大江さん自身でした。わが子の障害に直面した親の深いおうのうとみずみずしい情景描写がコントラストを描いた感動の物語です。

「長男の存在は作家として行き詰っていた自分に新しい息吹を与えてくれた」と講演会で語ったのが印象に残っています。障害のある光さんが野鳥の声を聞き分けるシーンを大江氏は昨日の出来事のように実にうれしそうに語ってくれました。その後の大江作品に通底する透明感や神聖さの原体験がそこにあるような気がしたものです。

障害の子を持ったことで実生活でさまざまな苦労を体験するのはどの親にも共通したものです。そうした苦労が肥しになって自らの人間性を深く掘り起こし、作家としての洞察力や感受性に影響を与えているのかもしれません。しかし、それだけでは説明のつかないものを私は感じます。知的障害者者の存在そのものが、現代社会に生きる親に〈Inspire〉しているということです。

「個人的な体験」の後、大江氏は核や平和問題、故郷である四国の森と障害のあるわが子との生活という自分自身の体験を重ね合わせる独自の文学世界を築き上げていきます。戦後の日本社会の閉塞感を舞台にした小説を描き続けた作家にとって、28歳のときに知的障害の子が生まれてくるという「個人的な体験」はそれからの自身の文学を決定づけるものだったに違いありません。その後の30年余の間に生み出された作品群を前にした今、大江健三郎という作家に知的障害の子が授かったことは必然と思えてならないのです。

近松門左衛門の苦悩

世界的な作家の先達として、近松門左衛門の名前を挙げたいと思います。江戸時代の売れっ子浄瑠璃作家である近松の生涯を取り上げた杉本苑子さんの小説「埋み火」には、晩年に知的障害の子が生まれた近松の苦悩と芸術性の昂揚が描かれています。

近松に知的障害の子がいたというのは杉本さんのまったくの創作というわけではありません。近松の浄瑠璃が当たるので、竹元座から給金を倍の百両にすると言われたとき、給金はそのままでいいから自分の死後に白痴(知的障害)のせがれに渡してやってほしいと頼んだ話が「反古籠」という本に出てくるというのです。「埋み火」(文春文庫)の巻末にある「自作を語る」で杉本さんは次のように話しています。

〈近松が中年にいたって、思いがけず地獄を見た。それは、精神薄弱の子(知的障害児)を持ったという現実です。近松の表面だけ追っていきますと、そこからなぜ「曾根崎心中」が、「冥土の飛脚」が、さらには「心中天網島」「女殺油地獄」「心中宵庚申」などの、魂の奥底で木枯しの音を聞くような名作が生まれてきたのかわからない……〉杉本さんはその理由を障害のある子を持ったことに求めます。

〈近松の内奥を追い続けているうちに、「あの子」が次第に私の中で、無言の自己主張をはじめてきたのです。この不幸な子を背負うことによって、彼は作家として、父親として、家長として、さらには個の社会人として深い苦悩に血しぶきながら、作品において時代を超えてゆくことができたのです。彼自身、地獄の業火を背負ってうめきながら、不幸なわが子と共に昇華をとげた。苦悩があの優秀な作品群となって結晶したと言えるでしょうね〉

このインタビューが行われたのは1979年なので、〈知的障害の子=不幸な子〉という決め付け方は仕方がないとして、それにしても、親の心理は300年の年月を超えても変わらないものだと思えてしまいます。

現代人は明治以降、近代思潮の洗礼を受けてから、人間とは何か、愛とは、生とは、死とは、また老いとは何だろう、病むということは何だろうといった人間存在の根本に触れる命題を考えるようになりました。だからこそ、これらの命題を提示しつづける近松作品は時代を超えて現代人に語りかけてくるのだというのです。

わが子に宇宙を見出す

ところで、杉本さんの小説のタイトルになった「埋み火」とは、近松の辞世の「残れとは思ふも愚か埋み火の消ぬま仇なる朽木書きして」から取ったそうです。自分の書いたものなどは自分の生きている時代だけのものであって、どんどん消えて行ってしまうもの、残るだろうとは思ってみるのも愚かだと近松は言います。その消えるまでのほんのわずかの間の人生に、つまらないことを書いてしまった、と嘆いているのです。

宇宙の永遠の営みの中で人間とはなんとちっぽけな存在なのでしょう。ちっぽけな人間の欲や煩悩から解放された知的障害者の中に宇宙を見出した作家だけが生み出せる芸術というものがあるのだとすれば、それは近松門左衛門の浄瑠璃であり、大江健三郎の小説なのかもしれません。