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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第4回

作家編
「ペンを武器に戦う、ふたりの女性作家」

障害の子を持つ作家としては、現代日本を代表するノーベル賞作家、大江健三郎があまりにも有名ですが、ほかにも素晴らしい作家はいます。たとえば、米谷ふみ子さん。1930年に大阪で生まれた米谷さんは、大阪女子大(現大阪府立大)を卒業後、油絵画家として頭角を現し、60年にアメリカに渡りました。そこでジョシュ・グリーンフェルド氏と出会い、結婚して二児をもうけるのですが、次男に重い脳障害があったことから画家を断念し、文筆活動に転じます。

わが子ノア

85年に発表したデビュー作「遠来の客」で文学界新人賞、翌年の「過越しの祭」で 芥川賞を受賞しました。それらの文学作品もさることながら、自閉症児をテーマにし た夫との共著である「ノアの場所 自閉症児に安住の地はあるか」や「依頼人ノア  思春期を迎えた自閉症児」や「わが子ノア 自閉症児を育てた父の手記」などがよく 知られています。これらのノア・シリーズが日本で刊行されたのは、ちょうど自閉症 者を主人公にした映画「レインマン」が大ヒットした直後のことでした。

それまでは、日本での自閉症への理解はとても遅れており、親の愛情不足だとかテ レビを見すぎるからだとかひどい誤解がまかり通っていたものです。視線が合わない、 手を振りほどいて勝手にどこかへ行ってしまう、言葉が出ない……そうした幼少時の 自閉症の子どもの特性が親を苦しめているうえに、「愛情が足りないから自閉症になる」 という誤解にむち打たれるわけで、当時の親たちはどんなつらい思いをしてきたことでしょうか。

70過ぎてから冴え渡る

「ノア」が話題になって日本のテレビでも米谷さんのインタビュー番組が放映されたことがありました。知的な強い母、しかし、どこにでもいそうなおばさんのようにも見えて、うれしくなったものでした。まだ、わが子の障害を公表して社会的な活動をしている親なんて少ない時代だったのです。米谷さんの姿が全国の親たちをどれだけ勇気づけたことでしょう。

70歳を過ぎてからも執筆活動は衰えず、というか、ますます盛んになり、「なんもかもわやですわ、アメリカはん」( 04年)、「ええ加減にしなはれ! アメリカはん」(06年)など、アフガンやイラクを戦火に巻き込んだブッシュ政権に怒りの声を上げ続けてい ます。あるインタビューでは「脳障害児がいたら、社会の理念が全部見える。福祉がどうなっているかで、そこの国のことが全部分かります。人を殺す軍需費の代わりに福祉につぎ込み人命を大切にする国が美しい国です」などとも語っており、その舌鋒の鋭さに磨きがかかっているようです。

動乱の中国で

女流作家で忘れてならないのは、何と言ってもパール・バック(1892年~1973年)でしょう。アメリカで宣教師の両親のもとに生まれ、生後3カ月のときに中国に渡りました。英語よりも中国語を先に話すようになったそうです。その後、中国とアメリカを行き来し、25歳でアメリカ人農業経済学者と結婚しました。

当時の中国は、列強諸国の侵略下にあり、外国人は地元住民たちの憎悪を集め命を狙われることも珍しくなかったそうです。治安の悪さだけでなく、栄養状態や衛生状態53も劣悪な中国で、パール・バックは7人の子どもを育てますが、そのうち3人を疫病などで失いました。また、一人の子には重い知的障害がありました。壮絶な苦労を強いられながら小説の執筆活動をしていたことが想像できるでしょう。

デビュー作「東の風・西の風」に続き、動乱の中国を舞台にした大作「大地」でピュリッツアー賞を受賞しました。この「大地」の中にも少しですが、重度の知的障害児のことが出てきます。「大地」とともに三部作を構成する「息子たち」「分裂せる家」、また「生きている葦」などの名作も知られています。1938年には「母の肖像」でノーベル文学賞を受賞しました。

闘争よ!

アメリカと中国の懸け橋となる一方で、差別や偏見や暴力に対して正義の怒りを燃やす姿勢は終生変わることがありませんでした。第二次大戦後は、広島で被爆した少女や孤児の救済活動に取り組んだ谷本清氏を支援したり、長崎に滞在して反戦反核をテーマにした作品を描くなど、日本にもゆかりが深い女性でした。

終戦の年の1945年10月2日、毎日新聞に「日本の人々に」と題した寄稿が掲載されました。そこでパール・バックはこう訴えています。「民衆が自由で独立的で自治的である国は如何なる国でもつねに善なる人々と悪なる人々との間に闘争の行われる国である。もしこの闘争が存在しないならそれは暴君が支配して善き人々が力を失っていることを意味する」

なんと激しく、熱く、偉大な母であることでしょう。