ページの先頭です。

3つのスキップメニューです。
このページの本文へ
メインメニューへ
ホームへ

映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第2回

続・永田町編
「障害児の父親、その新しい姿」

まだ猛暑の名残がかすかに漂う秋の夜でした。2006年10月、県議会の反対にあって紆余曲折を経た末に千葉県の障害者差別をなくす条例が成立したのですが、そのことについて「ぜひ詳しく話を聞かせてほしい」と福島豊衆院議員(2009年9月現在、前衆院議員)から電話をもらいました。出向いた先は東京・赤坂のしゃれたフランス料理店。「いやあ、申し訳ない」と少し遅れて福島議員はやってきました。いつ会っても知的な笑みを絶やさない紳士で、政治家というより医師や研究者のような感じです。

国会議員というと尊大傲慢なイメージをもたれるかもしれませんが、「豪腕」「ドン」などと揶揄される議員ですら、素顔は意外に腰が低くて、気配りを怠らず、むしろ小心さを感じさせる人が少なくありません。政治の舞台で見せる顔との落差に驚くことが度々ありますが、そのくらいでないと人情と情報が複雑怪奇に絡まりあった政界を生きていくことができないのかもしれません。

福島議員は大阪選出の公明党の国会議員です。障害のある子がおり、自らは医師でもあるので当然なのかもしれませんが、障害者問題にはとりわけ熱心な政治家です。発達障害者支援法を作ったときには超党派議連の事務局を担い、実際に法案の条文も福島議員が自ら書いたといわれています。

その夜、福島議員はワインのグラスを傾けながら、千葉の条例が作られていく過程の話に熱心に耳を傾けてくれました。私は条例原案をつくった千葉県の研究会の座長で、何度も議会に押し戻され、苦労して成立までこぎつけた余韻がまだ残っていたせいか、日本で初めての条例をつくったという実感が持てないころでしたが、顔を紅潮させ、時には目を潤ませて聞き入ってくれる福島議員を目の前にしていると、腹の底から熱いものがこみ上げてくるような気がしたものです。

一寸先は闇を生きる紳士

「千葉の条例の話を」と言われて来たものの、以前にも福島議員には条例に関する主な内容は話したことがありました。その夜は個人的に開いてくれた慰労会のようなものかもしれませんでした。そんなことを思いつつ、おいしい料理を口に運んでいたのですが、何とはない会話の切れ端が頭の中で引っかかって、ふいにあることを思い出しました。

2004年ごろ、全日本手をつなぐ育成会が「障害者虐待防止法をつくろう」と盛んにアピールしているのを知って、民主党や公明党の議員らが成立に向けて動いてくれたことがありました。その一人が福島議員でした。国会内で開かれた公明党の勉強会に私が招かれた際、福島議員は「今度、ゆっくり飯でも食べませんか?」と誘ってくれました。その場で日時まで決めて手帳に書き込みました。

ところが、その直後に郵政解散があって総選挙に突入し、のんびり酒を飲んでいる場合ではなくなってしまったのです。福島議員からは丁重なおわびのメールが届きました。一寸先は闇を生きている国会議員との付き合いなのだから、そんなことは仕方がないことで、私自身がすっかり忘れていました。

しかし、党内でも要職を任されて分刻みの毎日を送るようになった福島議員は、そのことを忘れてはいませんでした。条例成立の機会にペンディングになっていた約束を果たしてくれたのです。ワインの上質な風味が律儀な人柄とブレンドされて、心地よく酔わせてくれました。今も福島議員は障害者虐待防止法の制定に向けて尽力してくれています。

小泉チルドレン?
でも障害者の見方

さて、当時私たちが目指した障害者虐待防止法は、熱心に制定に向けて動いてくれていた議員の何人かが郵政解散による総選挙で落選し、その後の政局の中で置き去りにされてしまいました。その選挙で当選した「小泉チルドレン」の顔をテレビで見るたびに、苦いものが胃に広がっていくのを感じたりもします。

その選挙で新潟6区から立候補して初当選した高鳥修一議員(自民・2009年9月現在、前衆院議員)もそういう意味では小泉チルドレンと言えるのかもしれませんが、この人だけはちょっと違います。「ほかの先生(議員)は農業が大事だとかいろいろ言うけれど、私は障害者のことに一番興味がある」。真面目な顔でそう語るのを聞いたことがあります。昨年と今年のアメニティ・フォーラム(滋賀)で、登壇した高鳥議員は熱心に障害者の人権を守ることについて訴えていました。有言実行。現在もっとも障害者虐待防止法の制定に向けて奔走しているのは、高鳥議員だと断言してもいいと思います。虐待防止法を飲み込んでしまった郵政解散によって登場した議員が新たに虐待防止法を作ろうとしているのは何かの皮肉でしょうか。

高鳥議員も小さな障害のある子どもがいます。政治家に限ったことではありませんが、かつては障害のある子の存在を自分の仕事の世界で公言する父親など滅多にいませんでした。家庭内の事情は仕事場まで持ち出さない、まして障害のある子のことなどおくびにも出さない。そんな父親が当たり前だったのです。

父親の役割といえば、育児に疲れる妻の愚痴を聞いてやったり、休みの日には皿洗いの一つも手伝ったり、養護学校や小規模作業所のバザーでエプロンをつけて焼きそばを作ったりすることで、それが障害児の父親のあるべき姿だと思われていた時代もありました。

しかし、高鳥議員のような父親を見ていると、いやでも新しい波を感じないわけにはいきません。社会の中で仕事をしている父親の中には障害者のために影響力を発揮できる立場の人が少なくありません。国会議員などはその筆頭格でしょう。実際、福島議員は障害児の父親として体感し蓄積したものを発達障害者支援法という法律に昇華させました。高鳥議員も障害児の父親でなければ感じられないものによって議員活動のモチベーションが形成されているように思えます。

そのような新しい時代の親たちが新たな役割を果たしていくことで、障害者の地域生活は築き上げられていくに違いありません。