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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第1回

永田町編
「障害のある子からInspireされる親」

親という生き物はおもしろい。もっとも子どもの身近にいて自由を束縛し権利を侵害する存在である一方、障害のある子のために生き方を180度変えてしまったりするのです。政治やビジネスや文化やスポーツなどあらゆる分野に障害者の親はいますが、どの分野においても障害のある子からInspire(思想や感情を吹き込む、喚起する、鼓舞する……)されている親を見つけることができます。イデオロギーや利権をめぐって生臭いうごめきが絶えない永田町においてもです。

あれは1997年ごろだったと思います。障害者雇用の場でひどい虐待が新聞で報道され国会でも論議されていました。朝早く、自民党本部に厚生省(当時)の担当者が呼ばれ、議員たちに状況を説明する場面がありました。淡々と事務的に説明していた官僚に、迫力のある怒声が浴びせられました。

「何やってんだ。しっかり、やらんか!」

野太い声に部屋の空気は震えました。「参院のドン」などと呼ばれ権勢を誇っていた村上正邦議員(当時)です。

その後、村上氏は自民党の一派閥の首領にまで上り詰めましたが、KSD事件で逮捕され議員の職も失いました。村上氏は無実を訴え続けていますが、1審と2審では認められずに有罪判決が下りました。それでもあきらめずに、現在は最高裁で争っています。

その村上氏に知的障害のある娘さんがいたことは親の会などの関係者には有名でしたが、あまり一般的には知られていませんでした。

最近、村上氏のインタビューをもとに半生を振り返った単行本「我、国に裏切られようとも」(魚住昭著、講談社)が刊行されましたが、その中に障害のある娘さんのことを語る場面が出てきます。父親としての感情を吐露し、障害児の存在が政治家としての活動の原動力になってきたことを率直に語っています。また、全日本育成会の全国大会に当時の菅直人厚生相が出席することになった逸話も披露しているのが興味深いと思います。

「我、国に裏切られようとも」より

非常に感性が豊かなんです。本当にありがたいことですよ。だから、私はもし天使というものがあるならば、この子は天使だと思っていますよ。

そんな子を持つと、政治に取り組むときでも、そうした子の周辺にいる人たちの立場や気持ちがわかる。たとえば、菅直人さんが厚生大臣だったとき「全国手をつなぐ親の会」という知的障害のある人たちの家族の会が、大臣に大会に出席してもらいたいと申し入れた。

厚生省は断った。それを家内が聞いて私の耳に入れた。私は菅さんに電話して「行ってくれませんか」と頼んだ。

「 なぜですか、先生。どんな関係なのですか?」

と菅さんが聞くから

「 うちの子どもがいるんだよ、家内がこの運動に参加しているんだ」

「そうですか、何とかします」

と言って、菅さんは大会に出てくれた。そんなふうに皆さんに喜んでもらえるようなことを、少しでもお手伝いができればという気持ちがすぐ出てくるんです。

私がダウン症の子どもを持っていることを知らない人はたくさんいます。国会の中で同じような子をもっている議員はいらっしゃるけど、そのことを言わないんだよね。でも、なぜそれを隠さなくてはならないのか。私は天から授かった子どもだと思っています。

当たり前のことですが、明子(※娘さんの名前)には明子のこの世に生まれてきた使命があるはずだ。その答えは私が出さねばならない、それが親の責任だと思っています。

国会議員にはある業界団体や省庁の利益を守る代弁者の側面をもつ人がかなりいます。いわゆる「族議員」です。村上氏は「労働族のドン」などとも言われていましたし、農水族、建設族、厚生族、文教族などなにかと利権がらみで揶揄されることが多いのが族議員です。

小泉改革のころから、権限が省庁から首相官邸に集中するようになり、選挙でも業界団体の組織票よりも浮動票の方が当落を左右するようになってから、族議員の威光に陰りは見えますが、依然として国政の水面下では根強い影響力を保っているのは否定できません。

初めて「障害族議員」を標榜したのは、私の知る範囲では中根やすひろ前衆院議員(民主党)です。障害のある学齢期の子がおり、地元である愛知県岡崎市の親の会にも入っています。郵政解散による総選挙で落選して現在は浪人中ですが、衆院議員のころの中根さんは障害者虐待防止法をなんとか作ろうと奔走していました。

「もちろん利権なんて何もないのだけれど、障害者の声を代弁するのが私の使命。だから〈障害族議員〉なんです」と冗談のようによく言っていました。

たしかに、障害者問題に熱心に取り組んでもあまりお金にも票にもならないでしょう。また、知的障害の子がいることを知られるのが恥ずかしいように思われてきた時代は長く、国会議員がそんなことをすれば売名行為のように見られかねない、というのが世の中の常識的な空気だったと思います。しかし、そんな懸念は軽く飛び越えて、障害族議員を標榜する中根さんの論理は明快でした。

「農業のことは農家に、女性のことは女性にしかわからないことがあるように、障害の子をもった親でなければわからないことが当然あるわけだから、むしろそれを(政治家として)活かしていけるのではないかということが見えてきた。それが僕の政治家としてのスタートだった」

族議員とはある特定業界の利益のみを追求し代弁する存在だとすれば、中根さんは障害族議員にとどまらず、さらに普遍的な政治のテーマへと視野を広げていたと言えるでしょう。私と対談したときに中根さんはこんなことを言いました。

「障害のことを考えるのは、必ずしも障害者問題を考えるということではなくて、物事にすべて共通する面があったり、人間とか社会とかの原点をとらえることであると思うことができた。子ども(障害児)の問題を入り口として、本当に大切なものはなんだろとか、置き去りにしてはいけないものってなんだろうとか、生きるとはどういうことだろうとか、その上で政治は何をしなければならないのかということを考えることができるようになった。それ以前は人の心を打つ政策も演説もできていなかったのは当然のことだろうなあと思いますね」(「親」Sプランニング)。

わが子の利益にとどまらず、より普遍的な問題へと目を開いていったのは、政治家としての中根さんの資質もさることながら、障害のある子が本来的に持っている影響力というものを感じずにはいられません。

わが子に障害があることがわかると、たいていの親は嘆き悲しんだり落ち込んだりしますが、弱くて無垢な存在である障害児と関わる中で、そのわが子からInspireされる感覚を多くの親が持っています。親だけではなく、支援者やボランティアの学生たちにも、Inspireと呼ぶべき現象を見ることがあります。(つづく)