最近、といってもこの1年余りのことだが、私の近くの人間が相次いで「うつ病」と診断された。ともに、40歳前後で、いわゆる中間管理職であったが、その職責に見合う能力と人柄を兼ね備えていたといってよい人たちである。最初の彼の話を聞いた時は「そうか、大変だったんだなぁ。ゆっくり休めば……」と思ったが、二人目の時は「エーッ、まさか彼まで」と驚かされた。
かつて、うつ病は「心の風邪」といわれ、ストレスフルな現代社会では誰でも罹りうる病気だし、最近は良い薬も開発され簡単に治る病気だと軽視されがちだった。しかし、近年の精神医学界では、うつ病を難治の慢性疾患と考えるべきだと警鐘を鳴らす専門家が増えているという。特に初期対応を間違えると慢性化しがちで、とても厄介な病気になるらしい。その言説通りに私の若い友人たちも悪戦苦闘している。なんとか早く治ってほしいと願っているが、しかし、彼らにどう声をかければいいのか戸惑いは消えない。他の種類の病人に対してなら常套句の「頑張れよ」と声をかけるのに躊躇はないのだが、うつ病患者にはむしろタブーだという。彼らからの連絡に反応は出来ても、こちらから連絡するのは憚はばかられる思いもある。というのも、今どんな「精神」状態なのかを量りかねるところがあるからだ。しかし、かといってアクセスしないでいると、孤独や孤立を感じさせてしまわないかと気にかかる。精神疾患をかかえる人との距離の取り方は難しいと改めて思う。

精神:
アステア・2009
http://laboratoryx.us/mentaljp/index.php
「精神」(2009年・アステア配給)という映画をみた。最近上映されたばかりのこの映画は、想田和弘という監督が手がけたドキュメンタリーで、ナレーションも音楽もなくひたすら対象をカメラで眺め続ける手法を「観察映画」と呼ぶらしい。今回の「観察対象」は精神障害のある人々である。岡山の精神科診療所に集う人々を足かけ3年にわたって取材しその声を聞き続ける。患者さんだけでなく、医師やソーシャルワーカーなども素顔と実名で登場する。登場人物の誰もが、思うことをカメラを意識したりしなかったりの自由形で語り続ける。うつ病の人、統合失調症の人、さまざまな患者さんが登場する。カメラはその人たちの表情をみつめ言葉に耳を傾け続ける。

映画「精神」の制作の裏側を監督が綴った
『精神病とモザイク—タブーの世界にカメ
ラを向ける』(中央法規)も刊行されている
「私には何もない。もう死にたい」と泣く40代とおぼしき女性の手首には沢山のリストカットの痕が。既に50代の半ばを迎えたように見える「不定形精神病」と診断された女性は「死ぬことばかりを考えている自分を責めることに疲れ果てて苦しい」という。また、おそらくは統合失調症であろう30代の女性は、幻聴に苛さいなまれ続けて診療所が併設するショートステイ施設に駆け込んでくる。彼女は、10数年前に子育てのストレスから我が子を殺してしまった前科がある。彼女の独白をつなぎ合わせると、発病は結婚前からだったようだが、破局まできちんとした支援があったとも思えない。「お前が殺した。それを一生背負っていくんだ」と言われ続けているのが辛い、だから病気が治らないという主張も映画はそのまま流す。
「親亡き後の保障」は障害児・者の保護者たちの念願だった。親の会の活動の原点といってもよい。しかし、精神障害者のセルフヘルプグループの会合のシーンでは患者自らが「親亡き後」を語り合っている。「親がいなくなったら、自分はどうすればいいんだろう」と当たり前のように口にする中年の男性に少し驚かされる。20歳で統合失調症を発病して40年闘ってきたという男性は「自分は確かに病気だが、全人的に見て健常といえる人なんて誰もいない」という思いだという。また、冗舌に自らを語り、自作の写真による詩画集を披露する男性も高校時代の発病以来20数年がたつという。彼の紡ぎ出した言葉には、例えば「雨に打たれ、風に揺られ、昨日よりきれいになった野の花よ」「母ちゃんが死んで12年がたった。腹へったよー母ちゃん」などがある。
あえて、カメラの前に素顔をさらした彼らはもちろん、精神の病いをかかえていることを自覚している。そして病気と闘うというよりもむしろじっと耐えているように見える。現在では、精神障害者と呼ばれるようになったこの人々は厚労省の推計では300万人を超え、現在のところ35万人もの人々が入院している。しかし、社会的入院といわれるように、本来なら地域での暮らしが出来るはずの人が受け皿や支援がないために長期入院を余儀なくされているケースも少なくない。この映画に出てくる人たちの多くもこの境界にいるのかも知れない。確かに、微妙な違和感を感じさせ、「違うかな」と思わせる空気をまとった人たちではある。もう10年も前になるが、ある自治体の審議会で某大学の教授が「結局、問題は精神障害者への誤解や偏見です」と発言したことに家族会の代表者が「世間がそう見るのは当たり前のことです。私自身だって息子が何を考え、何をしですかわからないという不安と恐怖を感じ続けているんですから」と反論した。その痛ましいリアリティを今も忘れられない。映画に登場した患者さんのすべてが院長の山本医師への絶大な信頼を語る。元県立精神保健センター所長という山本医師の診療場面も出て来るが、訴えに相槌をうちながら、時々相談に答えもするが、実に根気よく話を聞き続ける。それが「ムンテラ」というものなのか門外漢にはわからないが、治療というイメージからは遠い。「観察映画」という独特のこの映画はナレーションも解説も一切加えられていない。私たちは、登場人物の言葉と表情から、精神障害とそれをかかえる人々と向き合い、そうした人たちと共存しあるいは共生し始めようとしているこの社会のあり方を見つめ直すしかないようである。
映画のエンドタイトルに、登場した患者さんのうちの3人の顔と「追悼」の文字がかぶせられる。死ぬほど苦しいと語っていたあの女性も、饒舌な患者の傍らで沈んだ表情でタバコをくゆらしていた彼もおそらくは自死したものと思われる。


