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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第6回:誰とも代わることができない自分自身の人生を生きてきたのだ

いきなり私事で恐縮だが、もうすぐ89歳になる母親が脳梗塞で倒れた。救急車で大学病院に搬送されたときの医師の診断は「重篤」ということであったが、それから1ヶ月弱(2009年1月末現在)の間に、幸いにもゆっくりと回復し、今はまだベッドに伏しているが会話も成立するようになった。やがてリハビリ専門病院に転院する見込みである。年齢のこともあり、多くを望むことはできないかも知れないが、本人が言うように「早く家に帰りたい」という願いだけはかなえてやりたいと思う。

娘夫婦が近くにいるとはいえ、長い間母親と二人暮らしだった。私は仕事も現役の身だし、職場には多くの課題があり責任も軽いものではない。そういう状況の中で、後遺症や年齢相応の機能低下などを抱えて母親が家に帰ってくることを想像すると「はてさて?」と心もとない気分である。

病院に見舞って、帰宅するのが毎日の習慣になった。さほど大げさでもないが、食事のことや洗濯、食器洗いにゴミ出しなど家事の真似事もやらねばならない。改めて家中を見回すと、倒れるまで、母が手にして使っていたいくつもの道具がそこかしこにある。そして、母が使うことで役割を与えられていた品々は主を失った今も静かに息づいている。使われることがなくなったそれらの道具たちが寂しそうに見えるというのは感傷的すぎるだろうか。ただ、人間は道具とさえ、こうした相互の関係性を築きながら存在していることは確かなように感じる。使う人間の個性や思いによって道具の使われ方も多様であり、それ故に包丁も鍋もそれぞれに個性的な存在になるのかもしれない。人間関係もそうだ。だからこそ、人はそれぞれに自分を取り巻く人やモノと自分にしかできないユニークな関係性を創りだし、自分の居場所や存在を確かめることができるのだろう。

そのように思う中で、唐突に、私自身がなぜ障害者福祉において地域にこだわってきたのか、また一つの答えに出会ったような気がした。「住み慣れた地域で、親しんだ人々とともに」という意味は存外にこんなことなのかもしれない。ただ長くいたから住み慣れたというわけではなく、その日々の中で、彼(彼女)がそれぞれの方法で周りの人やモノと関わり、それぞれに互いを必要とする関係を取り結んできたことに意味がある。それは特別に意識されることはなくても人々が「自分らしく」生きていることを実感するために欠かすことができないものなのだろう。清潔で設備もよく整った病室で、きびきびとしかも丁寧に動く看護師たちに囲まれていながら、それでも、ぼんやりと心もとなさそうに横たわる母親の表情はあながち病気のせいだけでもないようにみえる。

ポーリーヌ:日活

ところで、ベルギーとフランスの合作で2001年に制作された「ポーリーヌ」(リーフェン・デブローワー監督)という映画がある。数年前に日本で公開されたものの、この地味な作品はもちろん単館上映で、それもほとんど話題にもならずに終わってしまった。

物語はかなり「定番」ではある。66才になり、もはや老女といってもよい知的障害をもつポーリーヌには三人の姉妹がいる。しかし、同居し面倒を見てもらっていた姉が突然倒れ亡くなってしまう。やがて、ポーリーヌは二人の妹の間をたらい回しにされたあげくに、施設に入所させられてしまう……。やむなく知的障害のある姉と暮らすことになった二人の妹たちは突然の出来事に慌てふためき、しかも障害のあるポーリーヌと長らく離れて暮らしていたために、付き合い方もわからずに混乱し、もてあました末の決断だった。

その後、再び「平穏」を取り戻した妹の一人は、念願だった海辺の家を買い、気ままな一人暮らしを始めるのだが、何かが足りないと感じ始める。思い出されるのはポーリーヌに振り回されながらも、なぜか楽しいことも少なくなかった日々のこと。時にポーリーヌの純粋な笑顔にむしろ癒されていたこと、いなくなって初めて実は互いが支え合って生きていたことに気がつく。そして妹はポーリーヌの笑顔にもう一度会うために、そして、ポーリーヌとの生活を再開するために施設へと向かう。この展開は極めつけの定番といってよいほどである。美しく咲き乱れる花々といかにもそれらしいヨーロッパの街角風景や知的障害者を演じる女優の嫌みのない演技がなければ映画としてはほとんど魅力のないものであったろう。しかしながら、繰り返し取り上げられるこのテーマに共感を誘われるのは何故だろうか。

一人で生きていくことに困難を抱える障害者はいつも誰かに託されなければ居場所がないように思われてきた。多くの場合は、親や兄弟に託される。だからこそ、例えば「親亡き後」というキーワードで表現されるように、次に託す人や場所(施設)を探すことがいかにも重大問題とされてきた。このように障害者、特に知的障害のある人はいつも「(誰かにあるいはどこかに)託される人」だった。しかし、本当は、彼らだって、ポーリーヌの場合は愛する姉に護られながら、誰とも代わることができない自分自身の人生を生きてきたのだ。にもかかわらず、姉がいなくなると同時にポーリーヌの居場所が奪われてしまう現実は、姉妹が一緒に暮らしたという日々さえもあっという間にかき消してしまうかのようだ。ポーリーヌその人ではなく、人々はポーリーヌに「献身」する姉だけを見ていたのだろう。まさに、「託される人」でしかなかったポーリーヌの悲しみがそこにはある。

しかし、ポーリーヌの周りにも彼女が手を触れ心を通わせた無数のものがあり、彼女が愛した人たちがいた。それらの人や物は実はポーリーヌとともに生きていたのである。彼女が注ぐまなざしによって、その存在がそれぞれにかけがえのないものになっていったといってもよいかもしれない。

ポーリーヌを迎えに施設に向かった妹は、そのことに気づかされ、本当は誰もが支え合って生きていることを確かめるように道を急いだ。