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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第5回:お前が覚えてなくても俺たちが覚えているからだいじょうぶだ

この連載では、旧作といってよい映画を取り上げてきた。たまには、新しいものをと考えてはいるが、これという作品が見あたらない、というより見ることができていないのという方が正確なのだろうが……。素人評論とはいえ、「映画…」について語ろうというなら、もっと本気の努力が必要だと反省する。そんな中、大して新しくもないかも知れないけれど、「ガチ☆ボーイ」(2008年公開、小泉徳宏監督)という作品のDVDが発売になったので早速見てみた。

ガチ☆ボーイ:
フジテレビジョン/ ROBOT/東宝

学生プロレスと高次脳機能障害の取り合わせというのがやや唐突で、あまり期待もせずに見たのだが、なかなか良くできた作品だった。映画は、何をモチーフにどのような主張が込められていようとも面白くなくてはいけない。映画というメディアに乗せる以上、諸々の意味でエンターテインメントとして成立していなくてはならないのだ。手に汗握る興奮や胸を打たれる涙とともに「映画小僧」から「映画親父」になった私はそう思っている。この「ガチ☆ボーイ」はもともと舞台でヒットした作品の映画化だというが、まずは合格である。私の好きなタイプの映画だ。

主人公は、司法試験合格間違いなしといわれる法学部の秀才学生だったが、自転車事故によって障害を背負うことになってしまう。昔のことは覚えているのに、事故以降はひとたび眠ると昨日の記憶が消去されてしまうというやっかいな障害である。こうした「高次脳機能障害をもつ人」は記憶障害だけでなく注意障害やその他の社会的行動障害など状態像はさまざまなようだが、事故の後遺症をはじめ、脳血管障害その他による脳の損傷に原因があり、今では10万人単位で数えるほどに増加しているという。

「ガチ☆ボーイ」の主人公もそんな一人である。一日中、自分の行動のすべてをポラロイドカメラで撮り、手帳にメモを書き付け、帰宅後に「明日の僕へ」と題したノートに記録していく。彼は毎朝それを読み直し確認してから出かけなければならない。彼にとっては今日出会う誰もが初対面であり、何でもが初体験なのだ。そんな彼が学生プロレスのサークルに参加するところから物語が始まる。記憶がなくても、体に残ったアザや筋肉痛が彼にとっては今日が昨日の続きであることを確信させてくれる証となる。それが生きていることを実感する数少ない方法なのだろう。一方で、サークルのマネージャーに何度も告白し、何度も同じように振られてしまう。さすがに告白中は写真を撮れないし、メモも書けないから……。こんな風に映画はテンポ良く青春の泣き笑いを展開していく。

難しい障害があっても青春のエネルギーは平等に若者たちの誰もに宿っている、あるいは、少しばかりの友情さえあれば、理解できないような障害も簡単に乗り越える程に若者の感性は軽やかに弾んでいる、その両方なのかも知れないけれど、まだ20代だという小泉徳宏監督の瑞々しいメッセージを感じる。

「お前が覚えてなくても、俺たちが覚えているからだいじょうぶだ」という仲間たちは試合を前に「いいか、自分の記憶に残らなくても、みんなの記憶に刻んでやれよ」と励ます。仲間の学生たちは乱暴で荒削りで自分勝手だから、主人公に同情したり遠慮したりということは苦手なのだが、不思議なことにその分だけ寛容なのだ。確かにこういう若者たちはいる。その心地よさに、でもこれは映画だから…と思いながらも癒される。そして、現実の世界で私たちがめざしている共生社会も実はこういうことなのではないだろうかと考えさせられる。本当はそんなに難しいことではないのかも知れないとも思う。

昨年(2007年)春以来、障害者自立支援法の「3年目の見直し作業」のために再開された社会保障審議会障害者部会に参加している。10月以降は、ほぼ毎週1回という驚異的なペースで会議が開かれている。成立の時から強い批判と反対運動にさらされていたこの法律は、審議会でもまさに議論百出で、縦横無尽な展開とともに拡散していくばかりで、合意も一致できない点も少なくない。とりわけ、社会保障費に対する露骨な抑制施策が関係者の不安を煽る結果となり、そのためか、現在のところ保障されているものを守るかのように議論はむしろ後ろ向きになりがちである。

「障害者基本計画」(内閣府)がいうように「障害の有無を超えて、国民が相互に個性と人格を尊重し支え合う」ことができる「共生社会」の実現をめざすことにおいては、会議に出ている委員の間にそう大きな隔たりはないはずである。映画の若者たちのように、本音で率直に語り合えればと思う。にもかかわらず、障害のある人たち自身の口から「障害者の問題は……」と語られるとたじろいでしまう自分がいる。「最近の若い連中は…」と、言いたがる年齢に達してずいぶんになるが、むしろ若者たちに学ぶべきなのだろう。

思えば、私たちの世代は障害者福祉の根幹に「地域」や「人権」を据えるために長い時間を費やしてきた。もっと、率直に言えば、私自身も回り道をしながらそのような気づきと出会ったというべきかも知れない。だが、今、私の近くで障害福祉分野に働く若者の間では、それらは出発点に過ぎないほどの常識である。出口を見つけあぐねているような「自立支援法の見直し」もそんなセンスの彼らに委ねたらと思う。