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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第3回:「命を懸けても守りたいもの」に出会った

トンマッコルへようこそ:
日活(株)

映画ファンを自称するようになると、ひねりの利いた難しい映画を褒めなきゃいけないと思いこみ、蘊うんちく蓄の一つも語って「通」ぶりたくなるものだ。しかし、私は例えば『トンマッコルへようこそ』(2005年、韓国)のようなシンプルな映画が大好きである。

これはまぎれもなくお伽噺ではある。朝鮮戦争が激しく闘われていた頃の朝鮮半島のどこかの山深くにトンマッコルという小さな村があったという。村人たちは戦争が起きていることさえ知らず静かに平和に暮らしている。何しろ、銃のことをただの長い棒と思い、山中で兵士に出会い頭に銃を突きつけられても、ずいぶん乱暴で礼儀知らずな挨拶の仕方があるものだと思うぐらいだから。

そんなトンマッコルの村で、いろんな偶然が重なり韓国軍、北朝鮮軍、そしてアメリカ軍の兵士が鉢合わせをすることとなる。村人たちは銃を突きつけ睨みあいを続ける彼らを意にも介さず日頃の暮らしぶりを変えようともしない。村には知的障害をもつ少女がいる。欲得から解放されて生きる村人を象徴するように、彼女には疑うものも怖れるものも何もない。自由でおおらかであけっぴろげに優しい。

兵士のある者は、味方を救う作戦のために市民を巻き添えにして死なせてきた。また、ある者は傷つき足手まといになった戦友を殺しながら逃げのびてきた。そんな戦争を戦ってきた兵士の乾ききった心もトンマッコルに溶かされていく。しかし、至福の時を刻む村も、行方不明になった飛行士を捜す米軍の攻撃の標的とされ戦争に飲み込まれる危機に瀕する。そして、村人の誰にも愛されていた少女が殺されたことをきっかけに、今まで睨みあっていた北と南の兵士は敵も味方もなく共にこの村を守ろうとして立ち上がる。村の豊かさ、美しさの象徴だった知的障害をもつ少女を簡単に殺してしまう戦争そのものと戦うため命を捨てる決意をする。それぞれの軍の兵士として戦った戦争では見つけられなかった「命を懸けても守りたいもの」に出会ったというべきかもしれない。

そこからのやや漫画じみた戦闘場面の爆弾や銃弾の炸裂は、それまでの長閑で美しい映像をつや消しにしかねないのだが、そうした戦闘場面も、あえて定番のヒーロー仕立てにした兵士たちの戦いぶりもしたたかに計算された演出だろうか。どんなに英雄的に戦うよりも戦うことなど必要もない世界と人間の方がよほど美しいのだというメッセージを感じた。名前は忘れたけれど、ネイティブアメリカンのある部族には、確か「ケンカ」とか「戦い」(ちょっと曖昧だが……)というボキャブラリーそのものがないという話を読んだことがある。トンマッコルの人々もまさにそんな人たちだ。

ダンス・ウィズ・ウルブズ:
東和ビデオ(株)

ネイティブアメリカンを描いた映画といえばケビン・コスナーの最高傑作『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)を忘れることが出来ない。南北戦争で英雄だった騎兵隊の将校がふとしたことからある部族と共に暮らすようになるのだが、ある日、他の部族の襲撃を受け激しい戦いの末にやっと撃退する。その歓喜の中で彼は絶叫する「初めて、愛する者を守るために戦った」と。

騎兵隊員の彼のこれまでの戦いは、それが「インディアン討伐」であっても「南北戦争」であっても自分が兵士であるという理由だけで誰かの命令で人を殺してきた。そして、彼自身がそんな自分に倦うみ果てて半ば軍を脱走したのである。どんな大義名分があったとしても戦争の現場で起きることは残虐きわまりない殺戮にすぎない。しかし、彼が出会った、ネイティブアメリカンの自然と溶け合うような暮らしはどこまでも豊かで、彼は畏敬の念を込めて共に生きることを決意したのだった。血塗られた過去との訣別である。

『トンマッコル…』のアメリカ軍も、行方不明になった自軍の兵士の救出のために、住民がいることを承知で無差別爆撃をしようとする。あの朝鮮戦争でもアメリカが守ろうとしたのは必ずしも韓国民の平和と安全ではないことが告発される。今のイラクでも同じようなことが起きているといってよいだろう。アメリカは第2次大戦とその後の今日までの時間を絶え間なく戦争に費やしてきた。その間に膨大に成長した軍需産業は間違いなくアメリカの基幹産業である。逆説的にいえばだから戦争をやめられない……。戦争という殺戮を美化するための「自由や民主主義」にすぎないといえば言い過ぎだろうか。

トンマッコルの村人たちは自分たちの暮らしを「自分たちらしく生きていく」ことで戦争をする人たちを静かに批判するのだ。誰もが役割を持ち、誰も排除されることがない社会を築いてきた。翻って、アメリカ社会はどうであろう。イラクに送り込まれる兵士には、仕事が無く貧困にあえいでいる若者が少ないという。兵役を終えれば大学に進む「奨学金」を受ける特権が用意されている、兵士となって戦地に赴いた者にはチャンスが与えられるというなら、「ドロップアウト」からのカムバックは自分と「敵」の互いの命が担保であるといわねばならない。まさに競争社会の苛烈さである。トンマッコルが共生の暮らし方の象徴とした知的障害をもつ少女の命が奪われたのは、まさにこの二つの価値観の相克を意味する。彼女たちをもう殺させてはならない。

福祉の仕事に従事する人間が平和を愛し、社会のあり方を問いながらそれを脅かすものに敏感なのはこうした事情による。断固たる平和主義者としての福祉業界人のスタンスにこだわりつづけたい。