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映画の中の障害者 福祉の道を歩んできた大学長の映画レビュー

第2回:明日のことを考えて 人生を複雑にしてしまっている私たち

『able /エイブル』という映画がある。公開されたのは2002年だから、もう旧聞に属する。スペシャルオリンピックス日本委員会代表の細川佳代子氏の企画によって制作されたドキュメンタリー映画で公開時には話題を呼んだので、障害福祉関係者には見た人も多いかもしれない。しかし、私は見る機会を逸していた。過日、衛星放送で放映される機会に出くわし、録画の上やっと見ることができた。そして期待通りに感動させられた。

率直にいうと、「スペシャルオリンピックス」という考え方と運動にはかなりの違和感を覚えていた。長野で2005年に開催された冬季スペシャルオリンピックス大会を実際に見てからそれはさらに強いものになった。長野五輪のスピードスケート会場になったリンクの中程に1周100メートルにも満たない特設コースをつくり、知的障害をもつアスリート(スペシャルオリンピックスでは、出場選手をこう呼ぶのが流儀)が失礼ながら「よたよた」と滑っている。中には、おそらく初めてスケート靴を履いたと思われる「アスリート」も少なくないように見えた。極めつけは、その彼らが途上国からの参加者と紹介されたことである。それらの国のどの階層に属している人たちなんだろうと想像せざるを得ない。会場にはアスリートと同じぐらいのあるいはそれ以上の数のボランティアが詰めかけており、仕事のない人はその子供だましのようなレースの「応援」ボランティアである。リンクには実況放送が流され、ナレーターは「アスリート」と連呼する。そのアスリートたちの滑る足元がますますおぼつかなく見え、不快感さえもがつのった。

誰のための大会かわからないような「こんな脳天気はもうやめようよ」と心底思ったものだ。しかし、この『エイブル』という映画に登場するのは、そんなスペシャルオリンピックス1996年世界大会水泳部門に出場していた「アスリート」の中から選ばれたという自閉症のジュンとダウン症のゲンという2人の青年である。映画はこの2人の青年をアメリカ人の普通の家庭にホームステイをさせるという企てから始まる。

アリゾナ州フェニックスに住むキャサリンとマークの夫婦は「ベスト・バディーズ」というボランティア団体に入会してはいるけれど、実際に知的障害をもつ人たちと関わったことはほとんどない。しかし、夫婦は2人の青年との3ヶ月あまりの共同生活を心から楽しむ。映画はそんな4人の姿を丹念に追い続けるのだが、心が温められ何度も目頭が熱くなる。映画にはスペシャルオリンピックスがらみのエピソードもないわけではないが、途中から、それはどうでもよくなってしまう。映画と登場人物自体がスペシャルオリンピックスのキャンペーンというこの映画の役割を軽々と超えてしまうのだ。

たとえば、ゲンとジュンの佇まいに戸惑いながら、そのあるがままを受け入れていくアメリカ人夫婦は「彼らは与えられたその一瞬を精一杯に楽しんで生きようとしている。明日のことを考えて、人生を複雑にしてしまっている私たち……」に気づき「彼らは、(私が)いい人間になれるようにいろんなことを教えてくれた」ともいう。ホテルでリネンサプライの就労体験をするゲン、地元の高校(普通高校)の特別クラス(=障害をもつ生徒のためのクラス、ここにはパラレルラーナーという普通クラスから派遣された生徒がいて、障害生徒の学習の補助をする)に編入して友だちを作ることができたジュン。そして、そのことを「誇り」に思うという夫婦。そんな中で、妻のキャサリンがつぶやいた言葉だ。

圧巻は、帰国を目前にした学校最後の日に、つきっきりで世話を焼いてくれたチャドとの別れにジュンが涙を流す場面だ。自閉症の彼はいかにも「泣き慣れていない」ように見え、溢れる思いとこぼれる涙をどう処理してよいかわからないように戸惑ってさえいる。自閉症という障害の切なさがジワリと伝わってきた場面だった。そこでは、自閉症者に関してさまざまな解釈をする「学説」が陳腐なものに色褪せる。また、ほとんど言葉を発することがないジュンが、夫妻が毎晩くりかえす「グッド・ナイト」に、ある夜、突然英語で「グッーナイ」とこたえるシーンもあった。キャサリンはそれが嬉しくて夫のマークに抱きついて泣く。そこには「治療」や「療法」で得るものを超える人のつながりという確かさが感じられた。

ゲンもすごい。4人で出かけた旅行先で、写真のとりっこをする場面では、カメラを手にするとキャサリンに"Kathrine goover there" と英語で立ち位置を指示するのだ。しっかりした英語でである。静かにさりげなく起きた奇蹟のような一瞬だった。

それにしても、登場するアメリカ人たちのフランクでフレンドリーな態度は、いかにもアメリカ人らしいと思う。20年ほど前にノースカロライナ州に滞在した時にふとした縁で、自宅に招いてくれ、1週間も居候させてくれたボブとアイリーンの夫婦もそういう人たちだった。

この映画は2001年の春に撮影された。あの9・11の直前である。キャサリンやマークはあの事件をどんなふうに受け取ったのだろう。あれ以来、世界は変わってしまったように思われる。「テロ」という言葉を触媒に、人を傷つけ、殺すことあるいはそれに荷担することも、敵味方の双方にとって都合よく正当化される世界に変えられた。でも、もし、キャサリンが今でも変わらず明るく優しい眼差しを失わずにいてくれれば、そして、ジュンとゲンが今日も、マイペースではあっても日本のキャサリンたちとともに生きているその瞬間を精一杯に楽しんで暮らしているなら、世界が平和を取り戻すための微かな可能性を信じることができそうだ。映画の感動の後で、ふわーっと、そんな思いが広がった。