このたび、こちらでブログをやらせて頂くことになりました。
聴覚障害者のうさこ。と申します。
どうぞ、宜しくお願いします
ちょっと、簡単に生い立ちを書きたいと思います。
小さい頃は聞こえていましたが、母が難聴で補聴器を着けていたので
時々ハウリングなどの音が漏れていると教えてあげるくらいだったのですが・・・
母が居ないのにハウリングのような音が聞こえるようになり(耳鳴り)
学校の先生からも授業中に後方から問いかけると聞こえていない?時があるとの事で
小4の時にこども医療センターで検査をして難聴と診断されました。
母方の兄弟は母の兄、姉、弟も難聴でしたので、
時々ハウリングなどの音が漏れていると教えてあげるくらいだったのですが・・・
母が居ないのにハウリングのような音が聞こえるようになり(耳鳴り)
学校の先生からも授業中に後方から問いかけると聞こえていない?時があるとの事で
小4の時にこども医療センターで検査をして難聴と診断されました。
母方の兄弟は母の兄、姉、弟も難聴でしたので、
とりたてて驚くような事もなくショックを受けることもなく育ちました。
(後に次女の妹、一番下の弟も難聴と解る、
三女はプロフにもあるように生まれつき軽度の知的障害で
言語障害があり心臓病で生まれてから数年は
入院ばかりしていました。)
(後に次女の妹、一番下の弟も難聴と解る、
三女はプロフにもあるように生まれつき軽度の知的障害で
言語障害があり心臓病で生まれてから数年は
入院ばかりしていました。)
とりわけ、母は明るく当時それほどポピュラーではなかった
ワーキングウーマンで聴こえなくても子供の目から見て
一般のお母さんより逆に輝いて見えたぐらいでしたし、
とても美人でしたので自慢の母でした。(笑)
そして、父は肢体不自由障害者で、
まだ私が幼い頃までは車椅子にも乗っていて
手術をして足に金属を入れて何とか立って歩けるように
なりましたが、片方の膝は屈伸しないで固まっていた為
びっこを引いて歩いていました。
(現在はもう亡くなりましたが・・・)
目で見てわかる障害者=父と、
目で見てわからない障害者=母
・・・との間に生まれた私や兄弟は、
貧しい事で辛いなぁ?ひもじいなぁ?と思ったことはあっても・・
両親に障害があることをとりたてて気にしたり苦痛に思ったことは
ほとんどありませんでした。
だけど、近所のおばさんや見知らぬ人などによく
「ご両親共、障害を持っていて大変ね・・かわいそうね?」と
言われる事が非常に多かったんです。
(おそらくですが・・休日や平日の自治会などの会合や行事に
親の代わりに長女である私が行く事が多かったので・・・)
なので・・「障害者」という言葉が大嫌いでした。
普通に生きているのに・・・
充分に幸せなのに・・・
その言葉ひとつで何だか慰めを受けているようで
子供心に肌で差別を感じていましたね・・・。
(自分には周りの声が聞こえていたせいもあると思うけど)
別に「障害」を「障がい」にするとかいう問題ではなくて
その言葉がある事自体、父と母を貶めているようにさえ感じてました。
今となると差別ではなく、
区別なのだ・・・と解かりますが・・・
もっと、いい言葉を選んで欲しかったとも思いますね。
このATARIMAEプロジェクトを知って、
障害者同士がコミュニケーション取れる(と思うような)場を
提供していただいたので、
聴覚障害者としての活動はもとより、
普通のひとりの人間として、母親として、女性として、
日々の生き様を(大袈裟ですが(笑))
書いていきたいと思います。
難しい話はあまり得意ではないし、
文章力もあまりないですが・・・
どうぞ、宜しくお付き合い下さいませ。




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