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年間3万人を越える自殺者がもう何年も続いています。この現実に行政もようやく腰を上げ、3月は自殺予防月間として様々な広報活動が行われました。

 

自殺の原因は様々あると思いますが、かなりの割合の方が精神的に病んでいると推測されます。また自殺まで及ばずとも、うつ病で苦しみ日常生活に支障をきたしている人も多いのではないでしょうか。

 

がん並みの対策を今回呼びかけたのは日本精神神経学会など4学会です。従来からの精神保健対策や復職支援に加え、精神科医の増員や子どものケアなども呼びかけています。国民への啓発活動を通じて更なる理解が進めばいいなぁと期待します。

 

冒頭に書きました対策月間では、普段利用している電車やバスの車内広告でも不眠や頭痛についての注意喚起がなされていました。うつ病の初期症状として自覚できるのは不眠や肩こり、頭痛ですので、もしこれらの知識が僕にも早いうちにあったなら、症状をこうもこじらせなかったかもしれません。今となっての「たられば」あまり意味がありませんが、これからうつ病の患者さんを減らすには有効な手立てかもしれませんね。

2010年度に入ってはや1か月が過ぎました。新年度から職場のスタッフ数が削減され、一人ひとりにかかる負担は以前にまして厳しいものになっています。いずこの職場も似たようなものであり、それに不平不満をこぼしているだけでは先に進むことはないでしょう。

 

しかし振り返ってみますと、結局僕がうつ病になる原因の一つにこの「定員削減による業務過多」が考えられます。厳しい雇用情勢の中、僕は職を失うことはありませんでしたが、その可能性は十分にあったと思います。最近になってようやく「職場の中のメンタルヘルス」が官民挙げて取り上げられるようになり、うつ病のサインである不眠についても早めに相談するようにと広告が流れるようになりました。

 

僕にも「心療内科ってどういうところ?」という質問や「最近眠れなくて」という相談がぽつぽつあります。そういう方には迷わず受診されることを勧めています。昔ほど精神科や心療内科にかかるマイナスイメージはなくなったというものの、まだ初めての人には不安が大きいと思います。内科や外科なら病院に行けるのに、精神科は二の足を踏むというのは本当を言えば自分がつらいだけなんです。病気になって病院に行くのは自然なことです。

 

さて、今回のタイトルに「区切り」という言葉を使わせていただきました。この意味は、主治医の先生と相談の上ですが、現在僕は抗うつ剤も睡眠導入剤も処方されず、服用しなくても日常生活に支障がないため次回の診察で月1回の受診を「卒業」させていただく予定だからです。内科の病気や外科の怪我と違い、もうこれで完治という明確な判断ができるわけではありませんし、僕自身も完治したという自信はありません。今後も無理はしないようには心がけたいです。

 

29歳でうつ病と診断され途中2年半は休職して、その間両親をはじめ様々な人に迷惑をかけてしまいました。いま34歳となりましてこの5年間が決して回り道だったとは思いません。たぶんうつ病ってなるべくしてなったのだろうし、その経験を生かすも殺すもこれからの僕の生き方にかかってくるのだろうとひしひし感じています。またうつ病は再発もよく聞く話です。ひとつは自分のために、一方で現在同じ病気で苦しんでおられる方に何かのきっかけとなればと思い、経験談を書かせていただきました。

 

人生はまだまだ続きますので、完結ではありませんが、ひとまず僕がこれまでにうつ病で経験したことは書き終えた気がします。お付き合いいただいた方には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。今後は不定期に補足・気づいたことを書かせていただきます。

2009年10月1日に異動の辞令をもらって新しい勤務地に着任しました。前回書きましたとおり片道2時間の通勤で、しかも最初は顔見知りもほとんどいない状態ですから、当然緊張はしますし、心身の調子も狂います。

 

後日知ったことなのですが、異動先の管理職には事前に僕の状態をよく伝えておいてくれたみたいです。それは異動元の管理職だけではなく、人事当局はもちろんまったく職務上は関係がない先輩諸氏からも電話・メールが送られてきたそうです。

 

そういうわけで異動当初はほとんど使い物にならなかった僕に対して、ありがたいことに職務上相当配慮していただきました。僕にはそうと気づかれない(ちょっと落ち着いて考えればわかることですが)ようにね。僕ももう休職していたころではありませんから、通勤のしんどさにもスタッフのみなさんとも慣れるようになってくれば、少しずつ普通に振舞えるようになりました。

体調に不安を残しつつの毎日でしたが、適度に休憩を挟みつつ6月くらいにようやく普通に勤務できるようになってきました。ひとつの目安であった復職半年の6月22日も無事にクリア。ひとまずこれで休職してからの「仮免許期間」は終えたことになります。

 

これで肩の荷が少し下りたのか、さらに落ち着いて仕事に臨めるようになりました。趣味も楽しめるように。ただ薬の量はまだまだ多いままでした。それでも薬飲みつつでもなんでも普通の生活が送れることは嬉しかったですね。

 

ところが夏の最中からにわかに身辺が騒がしくなります。10月の人事異動で転勤ということになったのです。本来であれば内示されるのはひと月ほど前なのですが、僕の場合それより少々早めに人事当局の意向を知らせてくれました。しかし転勤先は片道2時間以上かかる場所。始発バスに乗らないと遅刻してしまうようなところです。

 

今は意に染まぬ異動を断ってもいいそうなのですが、組織に属する以上「いやだいやだ」で通すわけにもいきません。

復職はゴールではなくスタートです。で、その日をもって普通の職員と同じように仕事ができるほど甘くもありません。

 

2008年末の復職でしたから、実質は2009年からのスタートです。けど、体も精神的にも充分に注意してはいましたが、それなり疲れはたまってきます。3月ごろには上司から数日休むように指示が出ました。もちろんそれは有給休暇ですが、もし主治医から再び「休養しなさい」と診断書が下されると、即休職です。規定で復職後6ヶ月経過しないと病休は認められないのです。しかも年末に復職したということも消えてしまいます。

 

復職する前は焦りを押さえていましたが、一度復職してしまうとそれがチャラになってしまうのは怖かったですね。だから休暇を使いつつ、診断書が出ないことを考えました。

 

春になって人事異動があって、僕は異動なしでしたが、僕が休職していたためつけられていた補充職員が引き上げられ(これは当然ですが)、さらに定員削減でスタッフが減りました。これが原因かどうかはわかりませんが、ゴールデンウィーク前に倒れてしまい救急車を呼ぶ羽目になってしまいました。

 

やっぱり無理なのかなぁ。

1日8時間の復職トレーニングも順調に進み、11月の末だったかと記憶していますが主治医から「復職可能」との診断書もおりました。あとは人事上の整理だけで年内にも正式に復職ということになりました。

 

人事上の整理というのは僕の休職が長引いたために欠員を補充してくれていたので、僕が復職しますと過員が発生します。かと言ってすぐさま僕を他の部署に配置換するわけにもいかず、結局3カ月ほどは人員が多いままでいくことになりました。僕は病み上がりなんですからそこまでぎっちぎちにせんでもええのにと個人的には思っていましたけど、組織となるとそうもいかないんでしょうね。

 

とにもかくにも、僕の復職は2008年12月22日と決まりました。その1週間前、藤臣先生が大阪で講演会を開かれたので、これは足を運んで出来ればきちんと報告したいなと思いました。もちろん藤臣先生は講演に執筆に忙しい方なので、10か月も前に一度会っただけの僕のことを覚えてくださっているかは不安はありましたが。

 

当日の講演会場は約400人収容とキャパが大きく、またうつ病に限らず様々な障害を持たれた方に向けられた催しであったため、福山の時のように直接声をかけることはできませんでした。ところが僕があきらめて会場を出ようとしたその時に休憩のため控室を出られた藤臣先生とばったり!しかも先生は僕のことをしっかり覚えてくれていました。「あの時は正直よぼよぼだったのに、今はすっかり持ち直したみたいだね」と言われた時は本当にありがたかったですね。

 

ここまでこの「うつ病息災」で綴らせていただきましたように、結構ひどいうつ病の症状に悩みながらも周囲のみなさま、主治医、家族に支えられてひとまず復職までこぎつけることができました。自分で読み返してみて僕は恵まれていたなぁと思わずにはいられません。ですが現在うつ病で苦しんでおられる方、またはそのご家族・友人の方に偉そうなことを一言申し上げるならば、浮上するきっかけはたぶんいっぱいあると思います。なにもそれを必死で探す必要はありませんし、そもそも探したくても体が動かないのがこの病気です。どうぞ無理はなさらないでください。焦らないでください。でももし、「ちょっと動いてみるかぁ」という気持ちになれたらチャンスです。他人と比較せずマイペースでそのきっかけをつかんでみてください。

 

さて、復職はできても以前と同じようにいきなりばりばり働けるわけではありません。そこで「せっかく復職したのに」という思いもまた湧いてきます。もうしばらく僕のうつ病体験記にお付き合いいただけると幸いです。

復職トレーニングも1か月を過ぎますと、そろそろ具体的に復職のプランを考えなければなりません。今までは「バイト代のかからないお手伝い」で重宝されていましても、実際僕が休職していることでそれだけまわりのみなさまの負担が増えていますから、職員として復帰してもらいたいのも事実です。

 

しかし復職プランといいましても、今やってることを変えずに1日8時間出勤するだけでした。それでもう1か月無事に過ぎれば主治医と管理職の3者面談を申し出て、復職可能の診断書を出してもらおうということに決定しました。

 

実は当時もう一人休職者が同じセクションにいました。その方は僕より15歳以上年上で、体も心も不調だったのです。で、僕と同じ時期に復職プランを立てましたが、僕のようにトレーニング期間を充分に取らずに復職を目指したため、結果うまくいかず、実は現在もまだ休職されています。

 

僕は現在復職して1年以上たっていますが、結局あの時無理をしなかったことが今につながっているのかもしれないなと思っています。ですからうつ病に限らず心の病で苦しんでおられる方には、無理をせずに生きていただきたいです。経済的・社会的に不安もあるでしょうけど、結局は「急がば回れ」です。

復職に向けたトレーニングを再開したと言いましても、当初は「職場に通う」ところからのスタートですから、何か仕事をするということはなく、書類の整理やコピー取りといった雑用をせっせとこなしていました。それでも平日は実家に寄らず(勤務地から遠かったんです)、一人暮らしの部屋で生活しますから、家事もやらないといけないわけです。あくまで一人ですから「ほどほどに」やっただけで、たいしたことはないのですけどね。

 

そういう生活も1か月続けられますと、ほんの少し自信も出てきます。1年間の講義料を前払いしなくてはならなかったので、司法書士講座の受講も並行で続けていました。「なんか僕、結構頑張れてる?」と。

 

で、上司と面談し、休職中ではあるけど定時出勤することにしました。もちろんしんどい日は無理しない条件付きです。さらに本来の仕事もやってみましょうとなりました。しかし2年以上も仕事していないと、きれいさっぱり忘れていました。それを取り戻すのにはやっぱりそれなり時間はかかりました。

 

だけど焦りはなかったです。むしろ「焦るな」と自分に言い聞かせていました。これまでの復職トレーニングでは「早く復職しないと」という焦りが結局失敗につながっていましたから。休職期間の満了が迫っていましたけど、それまでにはどうにかなるという「なんとなくの自信」があったからなのかもしれません。

祖母が田舎に帰っていきました。季節はすでに夏になっていました。

 

司法書士講座への出席はほぼ休まず続けることができました。体調が悪ければ休んでもいいという気楽さがかえってよかったのでしょう。さらに講座は非常に面白く、講師の話を聞き逃したくないという気持ちでした。

 

週に2日ほど、一人暮らしの部屋に戻っての生活も再開しました。ペースが急だったか穏やかだったかはわかりませんが、ともかく普通の生活への助走が始まったのです。そんな中ふと「職場に出てみようかな」という気持ちがわいてきました。

 

過去の復職トレーニングでは早く復帰したい思いが強いあまり、結構無理なスケジュールであったような気がしました。そこで今回はまず主治医に相談した上で上司と面談。1日5,6時間職場でいることは前回と同じですが、朝の出勤時間を遅らせることにしました。それまではラッシュ時の電車に乗って定時に出勤していたのです。それを10時出勤に変えました。

 

うつ病は朝が一番つらいのです。だからそこで無理に体を起こそうとするのではなく、時間的に余裕を持たせることで心理的にも余裕ができました。実際は朝7時に起きることを目標にしていました。10時出勤なら8時起きでも充分間に合うのですが、目覚ましは7時にセット。起きられれば身支度をゆっくりできる、無理なら少し横になっても間に合います。

 

もちろん職場には迷惑をかけたと思っていますが、それを取り返そうとするとつらいから、上司や同僚の厚意に甘えることにしました。回復に向かって復職できたらそのときにお返ししようと思って。

2008年4月、司法書士講座が開講しました。生徒さんの年齢層はばらばらで、現役の学生さんと思しき人から、リタイア前に資格がほしい方まで。だから僕一人が浮くこともなく、むしろ僕ぐらいの世代が一番多かったような気がします。

 

水曜の夜に一コマ、日曜に二コマで、一コマ150分だったので結構ハードだったように思えます。ただ心理的な緊張はなく、初めのころは梅田に出るのもなかなかしんどかったのですが、それも次第に慣れてくるようになりました。僕ぐらいの世代が一番多いと書きましたが、そういう人は当然キャリアアップ、転職を視野に入れて働きながら講座にでているわけですから、率直にすごいなぁと感心しました。僕は平日家にいるわけですからね。

 

大学時代は法学部であったこともあり、法律の勉強自体は最初心配したほど苦にはならなかったです。もちろん大学の講義よりも専門性が格段に上がりますけど、復習で取り組む問題演習はまるで働かなかった頭にはいい刺激となったようです。

 

5月の半ばくらいになると、田舎から祖母が大阪にやってきました。祖父の法要が一段落し、祖母の介護も近所に住む親戚の方々がやってくださっていたのですが、親戚の方も少し休養がほしかったのと、もう祖母も大阪に出てくる体力がなくなってくるだろうからというのが理由です。介護が必要と言いましても祖母は意思表示はちゃんとできますし、排泄も自分でできます。食事や入浴に手助けが必要なわけでして、母も実の父親を亡くしたところだったので、親孝行したかったのかもしれません。

 

そのため天気のいい日は祖母を車椅子に乗せて僕が近所を散歩につれて行ったり、阪神タイガースのファンである祖母と母のため京セラドーム大阪での試合に招待したりと、自分でもいろいろ動くようになりました。祖母は僕が平日家にいることに何の疑問も持たず、「いつも悪いねぇ」と言いながらニコニコしていました。小学校のころ盆と正月に会うくらいだった祖母との生活は3ヶ月くらい続き、これもまた僕にとってプラスに働いたかもしれません。

プロフィール

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  • よしお
  • 僕はうつ病になって4年が過ぎました。2年半ほど休職し、その間ほとんど引きこもりでした。今は職場復帰しているものの、一人前に仕事をこなしているとはまだまだ言えません。周囲のサポートで何とか毎日過ごしています。うつ病は苦しいですよね。でも勇気を持って一歩踏み出せば完治はしなくても快方には向かいます。「こんな奴もいるんだ」と知っていただいて、今苦しんでる方やそのご家族の方の一助となれればうれしいです。
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