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オジイの事の最近のブログ記事

明けましておめでとうございます。new

2010年がスタートして10日が過ぎました。
ブログの更新が少し遅くなってしまいましたが、
今年もウーマクオバーのブログ宜しくお願いします。happy01

今年で52歳になってしまうウーマクオバーですが
50年という歳月が今ではあっというまに過ぎ去ったような気がします。
あの時、こうしていれば人生変わったかも。。。
なんて思いながら、過去の記憶をたどって書いているこのブログ、
結構忘れてしまった事がありますが、自分自身の生きた記録として
綴ってみたいと思います。dog

さて、高校受験の話に戻りますが

いよいよ受験当日、不安な思いで宮古高校の門をくぐりました。
今まで頑張ってきた成果を精一杯出すだけです。

初日午前のテストが終了して、昼食時間になって驚いた事がありました。sign02

3年も宮古島を離れていて分からなかったのですが、宮古島の風習で
受験の日、家族揃ってお弁当を食べるという事です。

学校にはお弁当を抱えた受験生の家族が集まって、
校庭のあちらこちらでまるで遠足のようにお弁当を広げて食べていました。restaurant

そんな風習があるなんて知らなかった私は一人食堂へ。。。

すると、校門の前でオジイが私を待っていました。
大工をやっているオジィは私を心配して、昼食を一緒にとろうと
仕事場を抜け出して来てくれたのです。

とても嬉しくて一人ぼっちの寂しさも忘れ、オジィの優しさに感謝、
オジィと2人で学校近くの食堂で昼食をすませました。

オジィ ありがとう 頑張るからねと言い聞かせながら
後半のテストに望みました。

5教科のテストも国語・英語はバッチリ!
苦手としていた数学も思ったより回答できたような気がしました。

緊張の3日間も過ぎ、後は合格発表を待つのみです。

合格しなければ、後1年から2年は宮古島に帰ることはできません。

沖縄本島に戻る私を寂しそうに見送るオジィを残し、療護園に戻ってきました。










私を育ててくれた、祖父母は明治生まれで「頑固なオジイ」と
「働き者のオバア」でした。

私が生まれてまもなく離婚した両親に代わって、祖父母の戸籍に入れて
末っ子として育ててくれました。

オジイは戦争中は、商船に乗っていたということで戦場には行きませんでしたが、
物資輸送中に魚雷が当たって海の底に投げ出され、あやうく命を落とすところだったそうです。

運よく助かったオジイは、船を降りた後は散髪や大工と畑仕事をこなしていました。

唯一の楽しみは、仕事が終わった後の泡盛。。。。

たまに、残ったご飯で「濁酒」を造って、お砂糖を入れたものを飲まされた事があります。

私が酒が強いのは、オジイの濁酒に鍛えられたのかもしれません(笑)

器用なオジイは、私の散髪や勉強机・椅子造り、夏休みの工作? 
何でもやってくれました。

そして、食事の時は魚の骨を綺麗に取り除き、ミカンは皮を綺麗にむいて食べさせてくれたり
お肉は、脂身は自分が食べて赤身は私に食べさせるという程の可愛がり用でした。

その反面、オジイのお父さんが教師だった事もあって、躾けに関してはとても厳しい人でした。

行儀作法、言葉使いに関しては目が光って「鬼」と感じる程に厳しく躾けられました。

おかげで叔父・叔母や母も含め私達家族は、宮古の方言は聞き取る事が出来ても
話す事が出来ません。

オジイは、方言しか話せないでいると大人になって恥ずかしい思いをするし、嫁に行くときも
苦労するから、ちゃんとした日本語を話しなさいと常に言って聞かされていました。

高校を卒業して宮古島を離れて就職した時に、改めてオジイに育てられて良かったと実感しました。

沖縄から本土へ就職した人達の殆どが、言葉の壁で大変苦労したそうです。

叔父や叔母もオジイの厳しい躾けのおかげで、就職先での言葉の苦労は無かったと
感謝していました。

又、オジイは部落で子供が生まれると命名をお願いされたり、書道が得意なので
自治会や学校から賞状等を書いてほしいとお願いされたりで、部落では有名な
オジイでした。

そんなオジイが私は大好きで、いつでもどこでも後をついて回りました。

そして、部落でアチコチからお祝いの席に呼ばれる事も多く、
オジイが大好きなお酒を飲みすぎないようにと、オバアは必ずといっていいほど、
私をお供につけました。

私が一緒に行けば、遅くまで飲む事もないし、途中、寝てしまった私を
負ぶって帰らなくてはいけないので、飲みすぎることもありません。

さすが、明治生まれのオバアです。

亭主関白のようにみせて、しっかりと操縦していました。

そんな私とオジイは一心同体。。。

私の中に、オジイのいない世界は考えられませんでした。

14年前に91歳で他界してしまいましたが、今でも心の中にしっかりと
オジイは生きています。

オジイとオバアに育ててもらった事をとても感謝しています。


小学校4年.jpg

おばあちゃんと.jpg




プロフィール

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  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
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