同級生や先輩達の交流が楽しくて、夜出歩く事が続いている私を心配してか
ある日、大阪で働いていた3番目の母の妹が突然帰ってきました。
叔母にあたるのですが、年も10歳しか変わらないことから
小さい頃から「ネーネー」と呼んでいました。
沖縄では、兄を「ニーニー」と呼び、姉を「ネーネー」と呼んでいます。
ネーネーとは、中学を卒業するまで一緒に暮していました。
小さい時から、姉妹のように喧嘩をしたり、いつも一緒に行動していました。
ネーネーは中学卒業後、集団就職で宮古島を離れ、
時折帰省するものの宮古島では働く場所も少ないため
東京→大阪と働いていましたが、突然の帰省です。
まだ結婚していなかったので動きが取れやすいネーネーを私の見張り役として
姉妹達に頼まれて、帰ることになったのでしょう。
案の定、ネーネーは口うるさく私の行動をチェックしていました。
そして、部落の経営する購買組合の本店で店員として働くことになったのです。
街までバスで40分以上もかかる小さな部落では、この購買店はとても貴重な店です。
生活雑貨から食料品を揃えているので、毎日の買い物は東と西にある2店舗で
部落の人達は買い物をしていました。
街で買うより少し割高ですが、各家庭には通い帳なるものがあり
毎日買い物をした商品名や金額を店のレジで記入してもらいます。
そして、年末に買い物金額のトータルから?%が、各家庭に換金されるのです。
今でも、通い帳のシステムは残っていて、狩俣購買組合は小さな部落の割には
結構黒字運営をしているということで、地元紙でも紹介されることがあります。
購買店は朝7時から夜9時までの営業で、年中無休の状態です。
盆・正月や行事の時は、パニックするくらい大忙しです。
ネーネーが購買店で働き始めてからは、私の仕事が更に増えました。
学校から帰ってくると夕食の支度をすませると、ネーネーと交代で購買店を手伝います。
そして、夕食をすませ戻って来たネーネーとレジを閉めて、その日の売り上げを専務のいる
支店へ届けて家に帰るという生活が始まったのです。
しかし、ネーネーも20代の若さですから仕事が終わってすぐに家に帰るわけがありません。
私を叱りつけながら、分自身も同級生と遊びに行くこともシバシバありました。
とてもか細くて、体力のないネーネーは貧血気味で時々体調を崩します。
その度に学校が休みの日は、朝7時から夜9時までネーネーの代わりに店を開けることもありました。
小さな部落の店ですが、やる事は沢山あります。
7時前には店の前で待っている人達もいます。
朝食の準備や仕事に行く前に買い物に来る人達で
朝からバタバタと追い立てられながら店を開けます。
そして在庫確認しながら、品物を並べてラベル貼り、
時には、アルコールや米の配達もします。
当時は米は計り売りだったので憶えるまでチョッと大変でした。
大きな注文が入ると、配達用の大きな自転車にビールケースを乗せて
配達した事もありました。
体の小さな私には足が届くわけもないですが、
なんとか、自転車に飛び乗るようにして運転していたと思います。
今ではどうやって運転していたのか思い出せませんが。。。。
多分乗れないでしょうね!
忙しい日々を過ごしながらも購買店の手伝いは結構楽しんでいました。
オジィやオバァが方言で話しかけてきて答えられるようになり
取引業者の方と仲良くなり、配達の途中に学校帰りの私を見かけると、
部落まで乗せてくれることもあり、お陰でバス代も節約することができました。
私にとって貴重な体験だったと思います。
購買店前で。。。

ある日、大阪で働いていた3番目の母の妹が突然帰ってきました。
叔母にあたるのですが、年も10歳しか変わらないことから
小さい頃から「ネーネー」と呼んでいました。
沖縄では、兄を「ニーニー」と呼び、姉を「ネーネー」と呼んでいます。
ネーネーとは、中学を卒業するまで一緒に暮していました。
小さい時から、姉妹のように喧嘩をしたり、いつも一緒に行動していました。
ネーネーは中学卒業後、集団就職で宮古島を離れ、
時折帰省するものの宮古島では働く場所も少ないため
東京→大阪と働いていましたが、突然の帰省です。
まだ結婚していなかったので動きが取れやすいネーネーを私の見張り役として
姉妹達に頼まれて、帰ることになったのでしょう。
案の定、ネーネーは口うるさく私の行動をチェックしていました。
そして、部落の経営する購買組合の本店で店員として働くことになったのです。
街までバスで40分以上もかかる小さな部落では、この購買店はとても貴重な店です。
生活雑貨から食料品を揃えているので、毎日の買い物は東と西にある2店舗で
部落の人達は買い物をしていました。
街で買うより少し割高ですが、各家庭には通い帳なるものがあり
毎日買い物をした商品名や金額を店のレジで記入してもらいます。
そして、年末に買い物金額のトータルから?%が、各家庭に換金されるのです。
今でも、通い帳のシステムは残っていて、狩俣購買組合は小さな部落の割には
結構黒字運営をしているということで、地元紙でも紹介されることがあります。
購買店は朝7時から夜9時までの営業で、年中無休の状態です。
盆・正月や行事の時は、パニックするくらい大忙しです。
ネーネーが購買店で働き始めてからは、私の仕事が更に増えました。
学校から帰ってくると夕食の支度をすませると、ネーネーと交代で購買店を手伝います。
そして、夕食をすませ戻って来たネーネーとレジを閉めて、その日の売り上げを専務のいる
支店へ届けて家に帰るという生活が始まったのです。
しかし、ネーネーも20代の若さですから仕事が終わってすぐに家に帰るわけがありません。
私を叱りつけながら、分自身も同級生と遊びに行くこともシバシバありました。
とてもか細くて、体力のないネーネーは貧血気味で時々体調を崩します。
その度に学校が休みの日は、朝7時から夜9時までネーネーの代わりに店を開けることもありました。
小さな部落の店ですが、やる事は沢山あります。
7時前には店の前で待っている人達もいます。
朝食の準備や仕事に行く前に買い物に来る人達で
朝からバタバタと追い立てられながら店を開けます。
そして在庫確認しながら、品物を並べてラベル貼り、
時には、アルコールや米の配達もします。
当時は米は計り売りだったので憶えるまでチョッと大変でした。
大きな注文が入ると、配達用の大きな自転車にビールケースを乗せて
配達した事もありました。
体の小さな私には足が届くわけもないですが、
なんとか、自転車に飛び乗るようにして運転していたと思います。
今ではどうやって運転していたのか思い出せませんが。。。。
多分乗れないでしょうね!
忙しい日々を過ごしながらも購買店の手伝いは結構楽しんでいました。
オジィやオバァが方言で話しかけてきて答えられるようになり
取引業者の方と仲良くなり、配達の途中に学校帰りの私を見かけると、
部落まで乗せてくれることもあり、お陰でバス代も節約することができました。
私にとって貴重な体験だったと思います。
購買店前で。。。




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