友人や先生の協力もあって、2年に無事進級した私は今までと違い
高校生活が楽しくなってきました。
2年のクラスがとても明るく、笑いの耐えない活気のあるクラスだったのです。
又、私を心配してくれた友人とも同じクラスになることが出来ました。
彼女を通じて、友達も増え行動範囲が広がってきたのです。
音楽同好会も2年目になると先輩達との距離も近くなり、
同好会としての活動も広がってきました。
丁度、フォークソングブームで「かぐや姫、イルカ、吉田拓郎、森山良子、チェリッシュ」etc。。。
多くのヒット曲が流れていた時代です。
ギターの練習にも力が入りました。
少しでも上手になって先輩達に近づきたい、同じレベルで会話がしたいなどと思い
毎日、夕食の片づけを済ませるとギターを弾きながら大声で歌っていました。
田舎ですから、誰にも文句を言われることもありません。
それより、家を訪ねてくる近所の叔父さん・叔母さん達から
いつも道を通るたびに、ヒトミの元気な歌を聴いているよ?
いいね? 上手さ?
ますます調子にのってきました。
そして、夜になると同級生や先輩達に誘われて出かけることもしばしば。。。
今まで話をした事もなかった男子とも親しくなることができ、
毎日が楽しくて、学校を辞めなくて良かったと思いました。
でも、私のそうした心境を知らないオジイには、
私が夜出歩く事で心配をかけていたのです。
毎日の家事をこなしながら学校へ行く私に対して、
何も言わないでだまって見守ってくれているのですが、
私が夜、友達と出かける事で心配をかけていたのです。
当然の事ですね。
夜出歩くのはいけないことだと分かっているのですが、
ただ、友達・先輩とたわいのない話をして過ごすだけ。。。
それが唯一の楽しみだったので、誘いがあると出て行っていました。
外に出て誰かと話をしたい、誰かと一緒にいたい。。。
療護園を出てオジイと生活するようになってから、
遠く離れて過ごす母に対する不満が芽生えて来て、
その事をぶつける場所がないという苛立ちもあったからです。
オジイと生活して辛かったのは
70歳をすぎたオジイが若い人達と大工として働き、休みの日は畑仕事。
毎日働いても収入はわずかでした。
年金とオジイの収入だけでの生活は楽ではありません。
同居している叔父は、漁師を始めたばかりで殆ど収入がなく
生活費を請求してもわずかなお金しかもらえませんでした。
時々、自分の貯金から食費にまわすこともありましたが、
母から学費以外にオジイに協力がないことが最大の不満でした。
なんの贅沢もせず、黙々と働き、毎日の晩酌で泡盛を楽しむだけのオジイから
生活費をもらうことが辛くなってきたのと、叔父や叔母・母に対して、
言葉に出し切れない不満が大きく膨らんできたのです。
そんな苛立ちから時々、大声で叔父と喧嘩をすることもありました。
そんな中、オジイが私の夜遊びを心配して母に電話をしたのでしょう。
母から私に電話がありました。
当然、夜遊びの事で叱られましたが、私には聞く耳はありませんでした。
別に、何も悪いことしてないんだからほっといて!
家の事はチャンとしているから、心配する必要ないよ!
そういって電話を切った後、オジイに
オジイ! 心配かけてゴメンネ!
でも、絶対に悪い遊びはしていないから信じて!
夜出かけるのは悪いのかもしれないけど、今はやめられない!
理由は言えないけど、もう少し時間が欲しい。。。。
その言葉にオジイはだまっていました。
高校生活が楽しくなってきました。
2年のクラスがとても明るく、笑いの耐えない活気のあるクラスだったのです。
又、私を心配してくれた友人とも同じクラスになることが出来ました。
彼女を通じて、友達も増え行動範囲が広がってきたのです。
音楽同好会も2年目になると先輩達との距離も近くなり、
同好会としての活動も広がってきました。
丁度、フォークソングブームで「かぐや姫、イルカ、吉田拓郎、森山良子、チェリッシュ」etc。。。
多くのヒット曲が流れていた時代です。
ギターの練習にも力が入りました。
少しでも上手になって先輩達に近づきたい、同じレベルで会話がしたいなどと思い
毎日、夕食の片づけを済ませるとギターを弾きながら大声で歌っていました。
田舎ですから、誰にも文句を言われることもありません。
それより、家を訪ねてくる近所の叔父さん・叔母さん達から
いつも道を通るたびに、ヒトミの元気な歌を聴いているよ?
いいね? 上手さ?
ますます調子にのってきました。
そして、夜になると同級生や先輩達に誘われて出かけることもしばしば。。。
今まで話をした事もなかった男子とも親しくなることができ、
毎日が楽しくて、学校を辞めなくて良かったと思いました。
でも、私のそうした心境を知らないオジイには、
私が夜出歩く事で心配をかけていたのです。
毎日の家事をこなしながら学校へ行く私に対して、
何も言わないでだまって見守ってくれているのですが、
私が夜、友達と出かける事で心配をかけていたのです。
当然の事ですね。
夜出歩くのはいけないことだと分かっているのですが、
ただ、友達・先輩とたわいのない話をして過ごすだけ。。。
それが唯一の楽しみだったので、誘いがあると出て行っていました。
外に出て誰かと話をしたい、誰かと一緒にいたい。。。
療護園を出てオジイと生活するようになってから、
遠く離れて過ごす母に対する不満が芽生えて来て、
その事をぶつける場所がないという苛立ちもあったからです。
オジイと生活して辛かったのは
70歳をすぎたオジイが若い人達と大工として働き、休みの日は畑仕事。
毎日働いても収入はわずかでした。
年金とオジイの収入だけでの生活は楽ではありません。
同居している叔父は、漁師を始めたばかりで殆ど収入がなく
生活費を請求してもわずかなお金しかもらえませんでした。
時々、自分の貯金から食費にまわすこともありましたが、
母から学費以外にオジイに協力がないことが最大の不満でした。
なんの贅沢もせず、黙々と働き、毎日の晩酌で泡盛を楽しむだけのオジイから
生活費をもらうことが辛くなってきたのと、叔父や叔母・母に対して、
言葉に出し切れない不満が大きく膨らんできたのです。
そんな苛立ちから時々、大声で叔父と喧嘩をすることもありました。
そんな中、オジイが私の夜遊びを心配して母に電話をしたのでしょう。
母から私に電話がありました。
当然、夜遊びの事で叱られましたが、私には聞く耳はありませんでした。
別に、何も悪いことしてないんだからほっといて!
家の事はチャンとしているから、心配する必要ないよ!
そういって電話を切った後、オジイに
オジイ! 心配かけてゴメンネ!
でも、絶対に悪い遊びはしていないから信じて!
夜出かけるのは悪いのかもしれないけど、今はやめられない!
理由は言えないけど、もう少し時間が欲しい。。。。
その言葉にオジイはだまっていました。




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