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島の風習と本家の役目

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私が住む宮古島の狩俣部落は小さな部落です。

道路標識.jpg

あまり歴史の事は知らないのですが、
狩俣部落の始まりというコラムが掲載されていましたので紹介します。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146896-storytopic-64.html


偶然にもこのコラムを書いたのは、幼なじみの同級生です。

古くから、色々な祭事がありました。
ましてや、オジイの家は「新里」の本家
門中「むんちゅう」だけでも30件以上もあるとか。。。

古くから引き継がれている旧16日祭
他にもナツブーイやお盆等毎月のように何かしら祭事がありました。
その度に、仏壇にお供えする料理を作ります。
又、漁師をしている叔父の安全と大漁祈願等、全ての事を親戚の叔母さんに
教わりながら、本家の役割としてやらないといけませんでした。

沖縄だけの習慣で毎月の「模合い」
又、むんちゅう墓の建替えとかで、毎月親戚の人達が集まっていました。

不思議とこの「模合い」の日がいつもテスト期間中

当然試験勉強なんて出来ません。

酒のつまみの用意しなくてはいけません。
そして容赦なく

「ヒトミ? 水がないよ?」
「酒が足りないよ?」
「料理が足りないよ?」


酔っ払いの叔父さん達の私を呼ぶ声

イライラが募るばかりでした。

酔っ払いの叔父さん達がようやく帰り、片づけが終わる頃は11時を過ぎていて
眠さをこらえて、試験勉強をすることも度々ありました。

一番キツイな?と思ったのは、年頃の私に、オジイや叔父さんと話が合うわけがありません。
学校の話や友達の話が出来るわけでもありません。
だんだんと寂しさがつのってきました。

又、家の仕事があるので、遅くまでの部活動もできず

時間の自由がきく、音楽同好会のサークルに参加していました。

そして。。。一番の問題は学費です。
年老いたオジイに学費を出してもらうことなんてできません。

それでなくても、生活費はオジイの大工の収入で支えていたので
これ以上の負担をかける分けにはいきません。

私の貧乏節約生活のスタートです。

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プロフィール

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  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
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