合格発表から、慌しく宮古島へ帰った私には
多くの事が待ち受けていました。
オバアが亡くなってしばらくしてから、
石垣島から叔父が戻ってきていて、オジイと2人で生活していました。
叔父は私が小学校の時、事故で右手首をなくしてしまったのですが
負けず嫌いの強い性格で、船舶の免許を取り宮古島で猟師として
スタートさせていました。
又叔父は若い時、青年開発隊?にもいたと言う事で、とても知識が深く
右手のハンディは物ともせずに、漁の仕掛け作りはもちろん、
料理等なんでもこなしていました。
でも。。。叔父は頑固で、若い時のトラウマで肉類を一切口にしません。
友達に騙されて犬の肉を食べさせられたそうです

オジイは大の肉好き
度々食事の事でぶつかっていたようです。
当然、叔父は私が帰って来た事を喜び、
食事の支度を全面的にやらなくてはいけません。
食事だけではなく、家事全般が全て私の仕事となります。
今までオバア任せに生活してきて、3年も療護園生活です
まともな料理など作れるわけがありません。
でも、そんな事を言っている暇もなく叔父に教えてもらいながら
肉入りのオジイ用のオカズと肉なしの叔父用のオカズと
二種類の食事を作らなくてはいけませんでした。
魚は、叔父が漁から獲ってきた魚やイカ・タコ等があるので
不自由はありませんでしたが、魚を捌いた事もない私には
生臭くて、その作業がとても嫌でした。
家事全部をやらなくてはいけないというプレッシャーもありますが、
それよりも入学の手続きや制服の準備等、分からないことばかりで
何をどうして良いのか戸惑う私に幸いにも、親戚のお姉さんが同じ高校に通っていて、
いろいろと教えてもらう事ができ、制服のお下がりをももらう事が出来ました。
でも、一着だけは、新品で仕立てる事にしました。
東京の母や応援してくれた叔母へ、
新品の制服姿で記念写真を送りたかったからです

高校までの通学は、部落から市内までバス通学です。
宮古島は、バスの市内線がありません。
平良から狩俣まで、路線バスの「八千代バス」を利用します。
平良市内から狩俣部落まで約40分
そして、路線バスの終点から徒歩で高校まで、
私の足では30分以上かかります。
まだ、リハビリも完全でなかった私は右足は鉛の入った膝までの金具付き義足を
履く事で歩行していたので、長く歩けなかったのです。
ましてや、教科書の入った重いカバンを持って歩くのは、とても無理でした。
でも、なんとかしなくてはいけません。
オジイもそんな私を心配して、毎日市内まで仕事に向かう親戚の叔父さんに
学校への送り迎えをお願いしていました。
オバアの本家の叔父さんで、子供の頃から知っている叔父さんでした。
皆、私が生れて来た時から私を知っている人達ばかりなので
安心して頼る事ができました。
とりあえず、とまどいながらも周りの人達の助けを受けて
新しい生活を少しずつスタートさせる事ができました。
多くの事が待ち受けていました。
オバアが亡くなってしばらくしてから、
石垣島から叔父が戻ってきていて、オジイと2人で生活していました。
叔父は私が小学校の時、事故で右手首をなくしてしまったのですが
負けず嫌いの強い性格で、船舶の免許を取り宮古島で猟師として
スタートさせていました。
又叔父は若い時、青年開発隊?にもいたと言う事で、とても知識が深く
右手のハンディは物ともせずに、漁の仕掛け作りはもちろん、
料理等なんでもこなしていました。
でも。。。叔父は頑固で、若い時のトラウマで肉類を一切口にしません。
友達に騙されて犬の肉を食べさせられたそうです
オジイは大の肉好き
度々食事の事でぶつかっていたようです。
当然、叔父は私が帰って来た事を喜び、
食事の支度を全面的にやらなくてはいけません。
食事だけではなく、家事全般が全て私の仕事となります。
今までオバア任せに生活してきて、3年も療護園生活です
まともな料理など作れるわけがありません。
でも、そんな事を言っている暇もなく叔父に教えてもらいながら
肉入りのオジイ用のオカズと肉なしの叔父用のオカズと
二種類の食事を作らなくてはいけませんでした。
魚は、叔父が漁から獲ってきた魚やイカ・タコ等があるので
不自由はありませんでしたが、魚を捌いた事もない私には
生臭くて、その作業がとても嫌でした。
家事全部をやらなくてはいけないというプレッシャーもありますが、
それよりも入学の手続きや制服の準備等、分からないことばかりで
何をどうして良いのか戸惑う私に幸いにも、親戚のお姉さんが同じ高校に通っていて、
いろいろと教えてもらう事ができ、制服のお下がりをももらう事が出来ました。
でも、一着だけは、新品で仕立てる事にしました。
東京の母や応援してくれた叔母へ、
新品の制服姿で記念写真を送りたかったからです
高校までの通学は、部落から市内までバス通学です。
宮古島は、バスの市内線がありません。
平良から狩俣まで、路線バスの「八千代バス」を利用します。
平良市内から狩俣部落まで約40分
そして、路線バスの終点から徒歩で高校まで、
私の足では30分以上かかります。
まだ、リハビリも完全でなかった私は右足は鉛の入った膝までの金具付き義足を
履く事で歩行していたので、長く歩けなかったのです。
ましてや、教科書の入った重いカバンを持って歩くのは、とても無理でした。
でも、なんとかしなくてはいけません。
オジイもそんな私を心配して、毎日市内まで仕事に向かう親戚の叔父さんに
学校への送り迎えをお願いしていました。
オバアの本家の叔父さんで、子供の頃から知っている叔父さんでした。
皆、私が生れて来た時から私を知っている人達ばかりなので
安心して頼る事ができました。
とりあえず、とまどいながらも周りの人達の助けを受けて
新しい生活を少しずつスタートさせる事ができました。




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