ATARIMAEプロジェクトホームへ ブログトップへ

2009年12月アーカイブ

復帰前は、お正月を祝うのは旧正月でした。

でも、本土へ就職した人達が帰ってくるのは新暦の正月なので
賑やかに正月を迎えていました。

今では見ることもなくなってしまいましたが、殆どの家の門には門松と
日の丸の旗がなびいていました。

大晦日の夜には、オバアが手作りの餅を作り、正月料理を夜遅くまで作っていました。
又、部落内は1班から6班とグループ分けされていて、各班毎に大晦日に豚を潰して
それぞれ分け合います。
馬やヤギの時もあり、一年で一番贅沢な食事だったような気がします。

オジイは、山から竹を切ってきて門松を飾り付け、紅白歌合戦が始まると
テレビの前に釘付けです。
又、テレビのない家の近所の人達が集まって賑やかに年越しをします。

この時、新しい年を迎えるんだなーという実感がわいてきました。

我家は、部落でも「新里」の本家でした。
分家も30件以上あり、親戚も多く誰がどういうつながりなのか分かりません。

元旦の朝早く、夜が明けると同時に新年の挨拶にお客様が来ます。

座敷には正月の挨拶用のおとそとゆでた豚レバーの切り身が用意されており
本家の主、オジイからレバーに塩を乗せ、お客様は頂戴をした形で
そのレバーを受け取り口に入れ、次にオチョコの泡盛をオジイから受け取り頂きます

朝一番のお客様が帰った後に、家族が一人ずつオジイの前にひざまづいて
レバーと泡盛を頂きます。
これが、お正月の儀式でした。

この儀式のせいかな? お酒が強くなったのは。。。。(笑)

本家のお正月は忙しいです。

朝から次々と挨拶に来るお客様の対応に追われます。
料理やお酒の準備、後片付け。。。。

延々と夜まで続き、さすがのオジイも早い時間には酔って寝てしまっていました。

正月3日間は女の人は台所から離れられません。

小さい頃は、お年玉がもらえるのでお客様が来るのが楽しみでした。

お年玉を手に近所の駄菓子屋さんへ行き、くじ付きの駄菓子を買うのが
とても楽しみで、一日数回も行くのでオバアに叱られたことも。。。。

無駄遣いをしないようにと、叔父が鉄の貯金箱を作って無理やり貯金箱に
お金を入れさせられました。

旅からの人達が帰った後は、部落全体が静かになってしまいますが
再び旧正月で帰ってくる人達で部落は賑わいます。

旧正月になると私は晴れ着を着せてもらい、あちこちの親戚の家に
挨拶へ行きます。
もちろん目的はお年玉。。。

一年で一番金持ちになれる時ですね(笑)

今は、本家もオジイの代から叔父が受継ぎ、正月の儀式もなくなりました。

子供の頃のあのウキウキしたお正月が懐かしいです。


受験勉強も順調に進んでいる中、中学最後の運動会がありました。

療護園では小中合同で運動会が行われます。

私と明美さんは、中学最後の運動会を自分達でも作っていきたいと考え
フォークダンスの振り付けを考えることにしました。

毎年、フォークダンスは車椅子と歩行できる人とで別れていました

それではせっかくのフォークダンスもつまらない
全員が参加できるフォークダンスでなくては思い出にならない

そこで考えたのは、車椅子と歩行困難な人達は円を描いて座ってもらい
歩行できる人達が移動して踊るという方法で、新しいフォークダンスを
考えました。

フォークダンス.jpg

フォークダンスだけでなく、いろいろと競技を考えて出来た運動会は
大成功でした。


中3運動会.jpg

そして。。。

オバアが亡くなって1年がたったお正月
3年ぶりに宮古に帰ったのですが、とても淋しくて
この時の記憶は全くありません。

ただ、オジイの妹メガンサオバーが私の手を握りしめ

アガイー ツンダラーサー 

宮古の方言で、「とても可哀想」と言いながら泣いて
いたことだけ憶えています。

その時、「そうなんだ? やっぱりオバアはいないんだ」と
実感しました。

オジイの淋しそうな姿を見ると、なにがなんでも高校合格して
宮古に帰ろうと強く願いました。

しかし、お正月を過ぎると急に冷え込み
冬の図書室は寒く、受験を目前にして風邪でダウンしてしまいまいた

何日も高熱が続き、勉強することもできなくて

受験に失敗したらどうしよう

こんな時に熱なんかだして、バカヤロウと不甲斐無い自分に涙しました。

そして、高校受験の日が近づき

宮古島へは、担任の正俊先生が引率してくれる事になり

不安いっぱいで、試験会場となる宮古高校へ。。。。



図書室を夜間解放してもらってからは、夜の騒がしい病棟を離れ
静かな環境の中で、受験勉強に専念する事ができました。

しかし、私にはもう一つ大きな難関がありました。

それは、受験科目の中で一番苦手な教科が

「数学」

この苦手な科目をクリアしない事には、合格への道は遠い。。。。

英語と国語は得意な科目だったので、心配はしていなかったのですが

「数学、理科、社会」の3つは、苦手な科目でした。

理科、社会は何とかクリアできそうでしたが、数学は生理的にも
「嫌い?苦手?」意識が私の頭を回転させてくれません。

でも、このまま分からないままでいるわけにはいきません。

まずは、自分がどの辺からつまづいたのかを振り返って見る事にしました。

小学校の算数に戻り、一緒に療養している小学生から教科書を借りて基本から
勉強して見る事にしました。

そして、数学の先生にお願いして、放課後個人指導をしてもらう事にしました。

数学の先生「大城先生(男性)」は、少し口が悪いので、
いつも反抗してばかりいたのですが何かにつけて話しやすい先生でした。

先生も私の個人教授のお願いに
「おっ! 仁美もやっとやる気になったな!」と言って
快く引き受けてくださって、ケンカしながらも時間がある時は放課後
病棟まで来て指導して下さいました。

小学校の算数からスタートです。
先生は、そんな私に。。。。

「お前は、こんなところも分からないのか!」

と小ばかにしながら毒舌を言ったりしますが
そこは、気の強い私の事黙ってません。

「分かっていたら先生にお願いしません!」

即座に言い返します(なんて可愛くないこと。。。)

すると先生も

「そうだな!」


と答えて、2人の珍問答の勉強会が始まったのです。

そして今までチンプンカンプンで理解できなかった部分も
理解できるようになってきたのです。

でも、だからといって数学は好きになれませんでしたね。 先生も。。。(笑)





プロフィール

  • プロフィール画像
  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
  • ATARIMAE(あたりまえ)プロジェクトホーム

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2009年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年11月です。

次のアーカイブは2010年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。