ドキドキの運動会を終えてしばらくたったある日
オバァが宮古島から沖縄本島那覇の琉大付属病院へ入院する事になりました。
琉大付属病院は、今は移転して別の場所にありますが、
当時は那覇市寄宮にありました。
現在の県立那覇病院です。
療護園から歩いて行けるほど、すぐ近くにありました。
何の病気は聞かされていなかったのですが、
オバァからは「胃が少し悪いらしい」と聞いていました。
私は、主治医の先生の許可をもらい、授業が終わると毎日のように
オバァの所へ出かけて消灯時間まで付き添っていました。
毎日、オバァといろんな話をしながら看病していたのですが、
オバァが日に日に弱っていくのが心配でたまりませんでした。
そんな時、私の3度目の手術の日が決まりました。
「オバァ? 手術の日が決まったよ!」
「でも。。。手術したらオバァに会いに来れないし、
オバァの事が心配だから先生にお願いして
手術を後に伸ばしてもらおうね?」
私がそう言うと
「仁美ちゃん!ダメだよ!
オバァは仁美ちゃんの足が一日も早く治って欲しいと思っているんだから
オバァのために手術を後回しにしたらダメだよ!
チャンと先生のゆう通りに手術を受けなさい」
「オバァは大丈夫だよ! 仁美ちゃんと、どっちが先に元気になるか頑張ろうね!」
「手術の日には行けないけど、オバァが仁美ちゃんの悪い病気は
全部天国に持って行ってあげるから頑張りなさいね」
「手術が成功するよう、オバァは神様に祈っているから。。。」
そう言って、手術をしぶる私を励ましてくれました。
昭和47年12月14日。。。3度目の手術の日。
右足の膝が曲がっていたので、膝を伸ばす手術です。
今までより、少し大きな手術になると聞かされました。
この日は、珍しく東京から母も来ていて、私の手術に付き添ってくれるというのだ。。。
今まで一度も来てくれなかったのに不思議に思いながらも、手術の不安もあったので
少し嬉しくもありました。
手術前日は外出できないので、2日前の12月12日
オバァに、手術頑張ってくるね?と別れたのがオバァとの最後の会話となりました。
オバァが宮古島から沖縄本島那覇の琉大付属病院へ入院する事になりました。
琉大付属病院は、今は移転して別の場所にありますが、
当時は那覇市寄宮にありました。
現在の県立那覇病院です。
療護園から歩いて行けるほど、すぐ近くにありました。
何の病気は聞かされていなかったのですが、
オバァからは「胃が少し悪いらしい」と聞いていました。
私は、主治医の先生の許可をもらい、授業が終わると毎日のように
オバァの所へ出かけて消灯時間まで付き添っていました。
毎日、オバァといろんな話をしながら看病していたのですが、
オバァが日に日に弱っていくのが心配でたまりませんでした。
そんな時、私の3度目の手術の日が決まりました。
「オバァ? 手術の日が決まったよ!」
「でも。。。手術したらオバァに会いに来れないし、
オバァの事が心配だから先生にお願いして
手術を後に伸ばしてもらおうね?」
私がそう言うと
「仁美ちゃん!ダメだよ!
オバァは仁美ちゃんの足が一日も早く治って欲しいと思っているんだから
オバァのために手術を後回しにしたらダメだよ!
チャンと先生のゆう通りに手術を受けなさい」
「オバァは大丈夫だよ! 仁美ちゃんと、どっちが先に元気になるか頑張ろうね!」
「手術の日には行けないけど、オバァが仁美ちゃんの悪い病気は
全部天国に持って行ってあげるから頑張りなさいね」
「手術が成功するよう、オバァは神様に祈っているから。。。」
そう言って、手術をしぶる私を励ましてくれました。
昭和47年12月14日。。。3度目の手術の日。
右足の膝が曲がっていたので、膝を伸ばす手術です。
今までより、少し大きな手術になると聞かされました。
この日は、珍しく東京から母も来ていて、私の手術に付き添ってくれるというのだ。。。
今まで一度も来てくれなかったのに不思議に思いながらも、手術の不安もあったので
少し嬉しくもありました。
手術前日は外出できないので、2日前の12月12日
オバァに、手術頑張ってくるね?と別れたのがオバァとの最後の会話となりました。




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