沖縄整肢療護園での生活がスタートしました。
授業は、ベッドクラスと教室クラスに分かれていて
私は、歩くことができるのでグラウンドを挟んだ教室で
授業を受けることになりました。
今まで、40人の大勢のクラスで授業を受けていたので
少人数のクラスでの授業はとても緊張しました。

でも、すぐに皆と仲良くなることができ新しい生活にも
すぐになじむ事が出来ました。
一番辛かったのは、夕食が夕方5時半。。。
消灯時間が9時でしたが、育ち盛りですお腹が空いて大変でした。
というのも当時は財団法人の運営のため財政が厳しく食事は
とても質素でした。
毎日、モヤシ料理
朝は味噌汁にモヤシ、昼もおかずにモヤシ、夜もモヤシ炒め
月に2度程カレーライスの日がありましたが、お肉の姿は見たことが
なかったような気がします。

食べ盛りの子供達が大勢でしたが、お代わりも殆どありませんでした。
空腹をこらえて、面会に来た叔母に食べ物を差し入れてもらい
それも小さな子供達が寝静まってから、暗闇でこっそり食べていました。
たまに、園をこっそり抜け出して近くの店に夜食を買いに行ったりも。。。。
病室で誰かが誕生日だとすると、看護婦さんに許可をもらい消灯後
他の子供達にばれないように小さな明かりの中で、誕生日会&ラーメンパーティを
開いたものです。
インスタントのラーメンが人気で今はなくなってしまいましたが
オキコラーメン。。。
夕方食堂からどんぶりを借りて、お湯は看護婦さんにお願いして
給湯室のお湯を分けてもらい、ズルズルと食べるラーメンの味は格別でした。
そんな生活にもなれた頃、最初の手術の日が決まりました。
それも12月中旬!
お正月は宮古島で過ごそうと楽しみにしていたので
ガッカリでした。
主治医の大城先生は身体も大きくて怖い先生なので
正月帰りたいなんて言ったら、大きな目で睨まれてしまいます。
足が少しでも早く治るためには我慢するしかありません。
手術の日が近づくのが毎日ドキドキでした。
授業は、ベッドクラスと教室クラスに分かれていて
私は、歩くことができるのでグラウンドを挟んだ教室で
授業を受けることになりました。
今まで、40人の大勢のクラスで授業を受けていたので
少人数のクラスでの授業はとても緊張しました。

でも、すぐに皆と仲良くなることができ新しい生活にも
すぐになじむ事が出来ました。
一番辛かったのは、夕食が夕方5時半。。。
消灯時間が9時でしたが、育ち盛りですお腹が空いて大変でした。
というのも当時は財団法人の運営のため財政が厳しく食事は
とても質素でした。
毎日、モヤシ料理
朝は味噌汁にモヤシ、昼もおかずにモヤシ、夜もモヤシ炒め
月に2度程カレーライスの日がありましたが、お肉の姿は見たことが
なかったような気がします。
食べ盛りの子供達が大勢でしたが、お代わりも殆どありませんでした。
空腹をこらえて、面会に来た叔母に食べ物を差し入れてもらい
それも小さな子供達が寝静まってから、暗闇でこっそり食べていました。
たまに、園をこっそり抜け出して近くの店に夜食を買いに行ったりも。。。。
病室で誰かが誕生日だとすると、看護婦さんに許可をもらい消灯後
他の子供達にばれないように小さな明かりの中で、誕生日会&ラーメンパーティを
開いたものです。
インスタントのラーメンが人気で今はなくなってしまいましたが
オキコラーメン。。。
夕方食堂からどんぶりを借りて、お湯は看護婦さんにお願いして
給湯室のお湯を分けてもらい、ズルズルと食べるラーメンの味は格別でした。
そんな生活にもなれた頃、最初の手術の日が決まりました。
それも12月中旬!
お正月は宮古島で過ごそうと楽しみにしていたので
ガッカリでした。
主治医の大城先生は身体も大きくて怖い先生なので
正月帰りたいなんて言ったら、大きな目で睨まれてしまいます。
足が少しでも早く治るためには我慢するしかありません。
手術の日が近づくのが毎日ドキドキでした。




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