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思春期

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父の存在を知ってからは私の心は複雑な心境でした。

父の事を聞いても何も教えてもらえませんでした。

そんな中、夏休みに東京へ

今まで、「パパ」 「ママ」 と呼んでいたのに
なぜだか他人のような気がして呼ぶ事ができません。

何か用事があっても。。。。

え? とか。。。。あの? とか。。。。

自分自身どうしたらいいのか分からなくなっていました。

東京の父と母の間には、男の子と女の子がいました。

私の義理の兄弟です。

妹は6歳下で、弟は13歳も離れています。

東京育ちの妹はとても活発で、負けず嫌いな強い性格です。

お姉ちゃん、お姉ちゃんと慕って、なんでも私の真似をして
私と同じものを欲しがりました。

でも、一緒に住んでいないせいか兄弟という実感はなく
兄弟喧嘩なんてしたこともありません。

一度だけ私に向かって、「ちょっと あんた!」と言われた時は
「誰に向かって言ってんのよ! お姉ちゃんでしょ!」と妹の頬を打ったことがあります。

そして、両親を一人占めしている妹が羨ましく思えることもありました。

一度だけ小学校の運動会の時に母が妹と東京から帰省したことがありました。

その時は嬉しくて、初めての母の手作りのお弁当に感動した事は忘れません。

だからといって、東京へ行き両親と一緒に住む事は考えた事もありませんでした。

その時の私は、オジィとオバァとの生活が、とても大切でした。

なんだかんだと色々あった小学校時代も無事卒業する事ができましたが、
中学生になった私に新たな苦難が待ち受けていました。









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今日は大量の魚有難うございました。

子供の頃からお母さんに送っていたんですね。

きっとものすごく嬉しかったと思いますよ。

米軍占領時代

確かに貧しかったですが

とても楽しかったような気がします。

仁美さんの描く風景が

私の幼少時代とほとんど一緒なので

とても共感できて

感動します。


これからもよろしく。

はるぼさん、喜んで頂けて嬉しいです。
母に魚を送ろうと思ったのですが、捌くこともできないし、料理の苦手な母ですので送っても冷凍庫でミイラになるばかりなので送りませんでした(笑)
なれないブログページでコメントの返事が遅くなりました。このブログは、子供達・孫達へ私の生きざまを伝えられたらと思って書き始めました。
いつも読んでくださってありがとうございます。

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プロフィール

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  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
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このページは、ウーマクオバーが2009年8月 9日 19:37に書いたブログ記事です。

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