ATARIMAEプロジェクトホームへ ブログトップへ

オバァの悲しみ

| コメント(0) | トラックバック(0)
小学校5年生だったでしょうか。。。

ある日学校から帰ると、台所でオバァが呆然と座り込んでいました。

いつもと様子が違うオバァに

ただいま? オバァ?どうしたの?

振り向いたオバァが握り締めていたのは、一通の電報でした。
当時は、各家庭に電話がなかったので、緊急の連絡は電報で知らせていました。

オバァは涙を流しながら、

トシオが、トシオが怪我したsign01

五体満足に生んで育てたのに何でこんな事に。。。。

私は号泣するオバァの背中を抱いてあげることしか出来ませんでした。

東京で働いていた母の弟、叔父が仕事中機械に右腕を挟まれて
右手首を切断したという連絡だったのです。

命に別状はありませんでした。

あの時のオバァの悲しむ姿は今でも忘れません。

私はその時、

オバァを悲しませてはいけない

そう心に誓った事を覚えています。

数ヵ月後、病院を退院した叔父が右手に義手をつけて
宮古島に帰ってきました。

その手を見たオバァの悲しみでいっぱいの顔

でも、叔父のこれからのために精一杯明るく迎えていました。

気丈な叔父は、右手を無くした悲しみを乗り越えて
左手の訓練と義手を使って何でもできるように努力していました。

しばらく、石垣島へ渡り一人頑張っていました。

私もそんな叔父の姿に勇気をもらいました。

ちなみに私に自転車を買ってくれたのは、この叔父です。

叔父から沢山の事を学びました。



トラックバック(0)

トラックバックURL: http://atarimae.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/605

コメントする

プロフィール

  • プロフィール画像
  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
  • ATARIMAE(あたりまえ)プロジェクトホーム