小学校時代は、かなりオテンバ(ウーマクー)な私は、
かけっこ以外の遊びは全て参加しました。
友達が私が参加しやすいようにルールを変えてくれたお陰かもしれませんが
ゴム飛びや縄跳び、鬼ごっこ、石蹴り等毎日
日が暮れるまで楽しく遊んでいました。
学校の休み時間は、天気の良い日は外でボール遊びや鬼ごっこが定番でした。
そんな小学校4年のお昼休み時間。。。
いつものように午後の授業が始まる前に、外で同級生とジャンケンゲームをしていました。
ジャンケンで勝った人が大股で飛びながらゴールへ向かって行く遊びです。
そして私が飛んだ瞬間、悪い方の右足がガクンと崩れ地面に膝をついてしまいました
その瞬間、ピキッという音と激しい痛みがはしりました。
遊んでいて転ぶことは日常茶飯事でしたが、その時の痛みは別でした。
膝をついた場所には大きな石が埋まっていたのです。
立ち上がれなくなって泣き出した私を同級生達は医務室へ負ぶって行き
手当てをしてもらいましたが、痛みが激しさを伴ってきました。
先生も私の痛みが普通ではないと思い、急ぎ祖父へ連絡迎えに来てもらう事に。。。
祖父が雨の中迎えに来た頃は、私の右膝は腫上がり
夕方には熱と共に激しい嘔吐を繰り返していました。
宮古島の小さな部落です。
タクシーは
電話で町の方から来てもらわないといけません。
その間も激しい痛みと嘔吐が続き、私はただ泣きじゃくっていました。
やっと、夜8時過ぎ町の救急病院へ到着、
レントゲンを撮ってもらったところ
右足の膝上にヒビが入っている事が分かりました。
硬い石の上に膝をついてしまった衝撃でヒビが入ってしまったのです。
専門の先生ではなかったのですが、とりあえず足を固定するために
ギブスを巻く処置が行われました。
しかし、このギブスで私の麻痺した足が最悪な状態になるなんて
祖父母も私も思っていませんでした。
右足の付け根から全体にギブスを巻かれた私は、歩くこともできなくて
一ヶ月間自宅療養をする事になったのです。
当時は、
車椅子も杖もなく、学校のトイレは和式、
教室から遠く離れた
運動場の先にあったので、通学が無理だったのです。
もちろん自宅も和式トイレで、いわゆるボットン便所。。。
1ヶ月間の自宅療養は、退屈な毎日でした。
勉強も遅れをとってしまい、時々先生や友人がノートを届けてくれましたが
一人自宅での勉強は、チンプンカンプンです
一ヶ月後、ギブスが取れた瞬間
私も祖母もギブスの中から現れた右足を見て唖然としました。
ギブスの中から現れたのは、黒く枯れ枝のようにやせ細った右足だったからです。
麻痺している足にギブスを巻きつけたまま、一ヶ月も放置していたせいで、
筋肉がなくなってしまっていました。
右足の力は全くなくなってしまっていて、立ち上がっても左足で支えるのがやっと
歩く事が出来ませんでした。
そんな私を祖母は
涙しながら背負い病院を後にしました。
後で聞いた話ですが、麻痺した足にヒビが入ったからといって1ヶ月もギブスを巻くのは
間違った治療だったということです。
当然にして、麻痺した足は筋肉が衰えて動かなくなってしまう。。。
離島の小さな病院、医療が遅れていたというだけでしょうか?
担当医の知識のなさ?
ウーマクーが過ぎた事を反省しても、病院の選択を間違えた事を悔やんでも
もう右足は元には戻りません。
それまで両足の太さは殆ど同じで軽いビッコをひきながらも、
わずかに走る事が出来ていたのが、大根とゴボウのように太さも変ってしまい
歩く事もままならなくなってしまったのです。
辛い日々がスタートしました。
かけっこ以外の遊びは全て参加しました。
友達が私が参加しやすいようにルールを変えてくれたお陰かもしれませんが
ゴム飛びや縄跳び、鬼ごっこ、石蹴り等毎日
学校の休み時間は、天気の良い日は外でボール遊びや鬼ごっこが定番でした。
そんな小学校4年のお昼休み時間。。。
いつものように午後の授業が始まる前に、外で同級生とジャンケンゲームをしていました。
ジャンケンで勝った人が大股で飛びながらゴールへ向かって行く遊びです。
そして私が飛んだ瞬間、悪い方の右足がガクンと崩れ地面に膝をついてしまいました
その瞬間、ピキッという音と激しい痛みがはしりました。
遊んでいて転ぶことは日常茶飯事でしたが、その時の痛みは別でした。
膝をついた場所には大きな石が埋まっていたのです。
立ち上がれなくなって泣き出した私を同級生達は医務室へ負ぶって行き
手当てをしてもらいましたが、痛みが激しさを伴ってきました。
先生も私の痛みが普通ではないと思い、急ぎ祖父へ連絡迎えに来てもらう事に。。。
祖父が雨の中迎えに来た頃は、私の右膝は腫上がり
夕方には熱と共に激しい嘔吐を繰り返していました。
宮古島の小さな部落です。
タクシーは
その間も激しい痛みと嘔吐が続き、私はただ泣きじゃくっていました。
やっと、夜8時過ぎ町の救急病院へ到着、
右足の膝上にヒビが入っている事が分かりました。
硬い石の上に膝をついてしまった衝撃でヒビが入ってしまったのです。
専門の先生ではなかったのですが、とりあえず足を固定するために
ギブスを巻く処置が行われました。
しかし、このギブスで私の麻痺した足が最悪な状態になるなんて
祖父母も私も思っていませんでした。
右足の付け根から全体にギブスを巻かれた私は、歩くこともできなくて
一ヶ月間自宅療養をする事になったのです。
当時は、
運動場の先にあったので、通学が無理だったのです。
もちろん自宅も和式トイレで、いわゆるボットン便所。。。
1ヶ月間の自宅療養は、退屈な毎日でした。
勉強も遅れをとってしまい、時々先生や友人がノートを届けてくれましたが
一人自宅での勉強は、チンプンカンプンです
一ヶ月後、ギブスが取れた瞬間
私も祖母もギブスの中から現れた右足を見て唖然としました。
ギブスの中から現れたのは、黒く枯れ枝のようにやせ細った右足だったからです。
麻痺している足にギブスを巻きつけたまま、一ヶ月も放置していたせいで、
筋肉がなくなってしまっていました。
右足の力は全くなくなってしまっていて、立ち上がっても左足で支えるのがやっと
歩く事が出来ませんでした。
そんな私を祖母は
後で聞いた話ですが、麻痺した足にヒビが入ったからといって1ヶ月もギブスを巻くのは
間違った治療だったということです。
当然にして、麻痺した足は筋肉が衰えて動かなくなってしまう。。。
離島の小さな病院、医療が遅れていたというだけでしょうか?
担当医の知識のなさ?
ウーマクーが過ぎた事を反省しても、病院の選択を間違えた事を悔やんでも
もう右足は元には戻りません。
それまで両足の太さは殆ど同じで軽いビッコをひきながらも、
わずかに走る事が出来ていたのが、大根とゴボウのように太さも変ってしまい
歩く事もままならなくなってしまったのです。
辛い日々がスタートしました。




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