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2009年5月アーカイブ

ゴールデンウィーク中に法事で帰省したばかりですが、今日から又2泊3日で帰省します。

今回は、明日日曜日に催される海人祭に参加するためです。

毎年行きたいな?と思いつつもタイミングが合わず参加できなかったのですが
今年はスケジュール的にもバッチリ、なんといってもマイルがたまっていて交通費も
マイルですべてOKでした。

年齢別対抗のサバニのリレーは、毎年盛り上がるそうです。

そして、そのサバニの漕ぎ手のメンバーに私も入っているということです。

え? いいよ? カメラマンでいいさ?

と言うと

毎年、お客さんを優先に漕ぎ手としてメンバーに入れるそうです。

さて、どんなリレーになることでしょう

楽しみです。

一応泳げるので、船がひっくりかえっても大丈夫です。。。。

ひっくりかえっても?

いや、わざとひっくり返して早く乗り込んでゴールに向かわなければならないそうです。

大変だ? 身体が重くて上れるかな?

では、次のブログ更新で結果をお知らせ致します。
宮古島の自然に囲まれて祖父母に育てられた私は
目の中に入れても痛くないと言われるほど可愛がられていました。

初孫でもあったので、祖父は私の事をとても大事にしてくれました。

親戚の中に3人の男の子がいましたが、丁度年齢も同じ年齢で毎日といってもいいほど
一緒に遊んだり、お互いの家を行き来して寝泊りしたりで兄弟のように過ごしていました。

その3人の男子、てっちゃん、あきらくん、よしのぶくん
祖父からある事をいいつけられていました。

ヒ○ミを守りなさいよ!

虐められないようにかばいなさいよ!

泣かしたらダメだよ!


この掟があったようです。

私が泣いて帰ってこようものなら、祖父は虐めた子を追っかけて行き、拳骨一発rock

そして3人のナイト達に。。。

ヒ○ミを泣かすなっていったでしょう!
ちゃんと守りなさい!
angry

そういって拳骨とともに叱られていたそうです。

だから、いつも3人のナイトが一緒でした。bleah

大人になった今、彼らに会うとこの話で盛り上がります

はぁ? 大変だったさ?
お前が泣くとオジイがすぐ飛んできて 泣かすな?angry
と言って叱られて怖かったさ?
sad
ほんとにお姫様みたいだったよdespair

たまに姫? 元気か?なんてねbleah

祖父が怖かったので部落ではかなり有名で、
部落の男の子達は私を泣かすことはような事は
しませんでしたね?(笑)
小学校4年.jpg

狩俣小学校グランド.jpg

宮古島の小さな部落の小学校は、5年生になると隣部落の子供達も一緒に勉強します

バスは一日に数本しかないので、隣部落の子供達は歩いて登校してきますが
歩いて40分はあるかと思います。

当時は道路も舗装されてなく、畑のあぜ道のような農道を歩いてくるので大変だったと思います。

そのせいか、5年生に上がるまで隣部落の子供達とは殆ど交流がありませんでした。

私が、小学校3年生くらいだったでしょうか。。。。

放課後帰宅中に、遠くから私をからかう声が聞こえてきました。

ギッタ! ギッタ! ナイギギッタ!

宮古の方言でビッコという意味です。

数人の男子先輩が私の歩く姿を真似しながら、笑いながらからかっているのです。

そして、石を投げつけてきました。

一緒にいた友達が怒って、石を投げ返して追い払ってくれましたが

悔しくてしょうがありませんでした。

なんで、虐められなくてはいけないの?weep

私の歩く姿は、そんなに可笑しいことなの?weep

そんな悔しい思いを作文に書き綴りました。

私は作文を書くのが大好きで、たびたび作文コンクールで賞をもらっていました。

内容は
「私だって好きでビッコになったわけじゃない、病気でそういうふうになってしまったんだ
もし、自分がそんな身体になってしまったらどうするの? 自分の身近な人が病気になったら笑えるの? 身体の不自由な人をからかうことは恥ずかしい行為です」

そんな感じで書いたと思います。

そして、この作文が賞をもらって全校生徒の前で読み上げる事になりました。

その後、私をからかって虐めた先輩達が私の元へ謝りに来てくれたことを覚えています。

それからは、逆に私の事を守ってくれるようになりました。happy01

今は、仕返しが怖くてそんな逆襲はできないのかもしれませんが
昔の子供達は素直だったのかもしれませんね。






小学校1年から6年までを宮古島の小さな部落にある狩俣小学校で過ごしました。

負けず嫌いの性格で、目立ちたがりやな私は学級委員や校外活動も積極的にやりました。

体育の授業も走ること意外は全部参加し、器械体操、鉄棒・マットは得意でした。

他のスポーツでもクラスの皆が協力してくれたので、サッカーやバスケット等はゴール付近で


待機していてパスをもらいシュートする等、縄跳びやゴム飛び等の遊びも積極的に参加しました。

昔は、遊び道具は自分達で作って、考えて遊んでいたので毎日が楽しかったですねsmile

友達も私には特例をあげて、遊びやすいルールを考えてくれたりで、
毎日5?6人の友達と一緒にいました。

宮古島は四方海に囲まれている平坦な島です。

自宅から海まで歩いても15分程で行くことができるので、子供達だけで海に行ってはいけないと
大人に注意されたところで聞くわけがありません。

祖父母の目をこっそり盗んでは、友達と海へ出かけました。
海へ行く途中の畑で、スイカやキュウリ、トマトを調達して?
悪い事です。。。反省coldsweats01

停泊中の船から飛び込んだりして、思う存分海水浴を楽しんでいました。

内緒で海に出かけた後のお仕置きは、バッチリとありましたcoldsweats02

ヤーチューですspa。。。(もぐさでお灸をすえられるんですweep

でも、ウーマクーな私がヤーチューくらいで大人しく引き下がるわけがありませんsmile

ばあちゃんも大変だったでしょうね?。。。

そんな小学校時代ですが。。。。

続きはまた

朝日を浴びるアダン2.jpg

ITおばあちゃん まだまだ頑張れる!『オババ日記』

道路標識.jpg

私が小児麻痺にかかったのは昭和34年生後8ヶ月の時だと聞いています。

当時の沖縄はアメリカの占領下でしたので医療や生活水準はかなり低かったと思います。

私が育った宮古島は、かなり遅れていたので当時は電気も水道も通っていませんでした。

高熱が何日か続いている私を町の病院へ祖母が連れていくのですが、
風邪の診断を受け様子を見ることになりました。

ある日祖母が間違って熱湯の入ったヤカンを私の足にくっつけてしまったそうです。
その時私が泣かなかったので不思議に思った祖母は、
今度は足をツネってみたがそれでも泣かないcoldsweats02

丁度、親子ラジオで小児麻痺が流行っているので
早くワクチンを受けるようにという案内が流れていたのを聞き、
あわてて別の病院へ連れて行ったときは手遅れでした。

最初に行った病院の先生がポリオの流行を知らなかったのと
ワクチンの存在も知らなかったそうです。

その後祖母は、沖縄本島に渡り病院をいくつもめぐり、
沖縄整肢療護園近くに部屋を借りて毎日リハビリに私を連れて通ったそうです。

どんなリハビリかは覚えていませんが、
祖母におんぶされて病院の門をくぐったことだけ、
かすかに覚えています。

私が生まれてまもなく離婚した母は、祖父母に私を預けて東京へ旅発ったということです。

物心ついた時から、祖父母との生活は何の抵抗もなく、母がいない寂しさは全く感じませんでした。

宮古島の自然に囲まれて自由に飛び回っていた環境と
祖父母の愛情が足が悪い私を卑屈にさせることが無かったと思います。

又、同級生全員が普通に接してくれていたおかげで、遊び友達も多く
オテンバぶりを発揮する事が出来ました。scissors

右下肢麻痺のため軽いビッコをひいていて、走ることはままなりませんでしたが、
日常の生活には特に支障をきたすことはありませんでした。

そこで、私のオテンバな行動とは。。。。smile

港に停泊中の魚船の上から海に飛び込んだりyacht

ガジュマルの枝から枝へ渡り歩いて木から落ちたりdown

塀の上を飛び跳ねて塀から落ちたり、weep

肝試しだと言って丘の上からダイブしたりdown

と祖父母の心配をよそに野生児のようにはだしで駆け回っていました。bleah

そのせいか、生傷が耐えませんでしたweep

今でもその当時を思い出すと、かなりウーマクだったな?と笑ってしまいます。bleah

そして更にウーマクぶりを発揮します。。。

続きはまた次の更新で




ブログスタートしたばかりなのに、昨日仕事帰宅途中で追突事故にあってしまいました。

わき見運転だったようです。

幸い渋滞中のノロノロ運転だったので、大きな事故にならなかったのですが、
私の愛車が可哀想なことになってしまいました。

ショックです。。。。

私の大事な足なのにひどいですよね?weep

s-マグロ釣ったよ.jpg

今日まで少し落ち込んでいるウーマクオバーです。
昨年釣り上げたマグロの写真を見て気分転換することにします(^^


修理から戻ってくるまで慣れない台車を運転しなくては行けないので
気をつけたいと思います。

皆さんも安全運転で行きましょうねrvcar

初めまして ウーマクオバーですsmile

沖縄県在住の50歳の元気ばあちゃんですscissors
ウーマクは、沖縄の方言でオテンバとかヤンチャという意味で使われます。
小さい頃から、とてもウーマクで育ての親、祖父母を困らせながらも
元気に宮古島の田舎で育ちました。

プロフィールにも書かれているとおり、右下肢に障害がありますが
負けず嫌いの性格で強くたくましく、明るくをモットーに生きてきました。

このブログでは、私の生い立ちや高校を卒業してから、就職、結婚、離婚と
現在に至るまでの私の半生を書いてみたいと思います。

時々、ウーマクオバーの日常等も書いてみたいと思いますので、興味のある方は
読んでみてくださいねwink

プロフィール

  • プロフィール画像
  • ウーマクオバー
  • 生後8ヶ月にポリオにかかり、右下肢マヒとなりました。中学3年間に手術とリハビリでなんとか人並みに歩けるようになり、宮古島の普通高校を卒業。兵庫県の東芝工場へ入社後、川崎へ転勤、そして結婚。身内や親戚もなく、誰も知らない横浜での生活の中で、3人の子供達は帝王切開で出産しました。横浜の団地生活も波乱ずくしでしたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り越えて、15年前に沖縄に戻ってきました。現在沖縄の不動産会社でIT担当として日々頑張っています。沖釣りと家庭菜園が趣味。そして思い切りカラオケで歌うことでストレス解消しています。
  • http://umuza.ti-da.net/
  • ATARIMAE(あたりまえ)プロジェクトホーム

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