「ナイトミュージアム2」を見てきました。
吹き替え版を選んで見ました。
観客は、子供たちと保護者が多かったです。
1回目の上映のせいか、空席が多かったです。
いつものことですが、インターネットでチケットを買って、同時に席も選ぶので安心です。
私は真正面のエリアが好みですが、次男と一緒のときは、次男が飽きてしまったら映画の途中でも館外に出るつもりなので、通路に近い席を購入します。
今回も、おとなしく、最後まで見ましたけどね。(^.^)
念には念を入れましょう。。。と思います。
障害者割引にしてくださるのは、そういう意味だと解釈しています。
自分が一人で大人向けの映画を映画館に見に行った時に、例えば、「グラントリノ」とか「チェ ゲバラ」とかを見に行った時に、小さい子がウニャ、ウニャ、グズグズ言う声が聞こえたら嫌ですもの。
やば!これは好みに合わなかったわ。。。とか、
ああ、まだ、わからないかなぁ。。たのしめないかなぁ。。。と思ったらすぐに外へ出ましょう。
諦めるべき時は、諦めて、次の機会を待ちましょう。
ここで、せっかくお金を払ったのだし。。。。とグズグズしていると、母子ともにいやな思いをしますし、他の観客に迷惑をかけてしまうことだって発生しかねません。
さて、次男くんは、話の筋がわかったかな。。。。
全部は理解できていないと思います。
でも、おもしろい場面がたくさんありますから、「場面」ごとで笑ったり、ビックリしたり出来ていたと思います。
映画が始まる前に、次男は、ドリンクバーでコーラのMサイズを購入しました。
昨日と同じように、メニューを見て自分で購入していました。
「サイズは?」とお姉さんに訊かれて、「・・・・・・・」となってしまいました。
私が、「どんな大きさかな。カップを見せてください。」と頼むと、お姉さんはSカップとMカップをカウンターに出して見せてくれました。
次男が、すぐに、「こっちだ!」とMカップを指さして言いました。
次男の体格に不釣り合いな「かわいい声」で、"あ!障害があるな。"と察したお姉さんでした。
次男は、350円を出してレシートを受け取って、納得していました。
場所は別の映画館だと思いますが、中学生のころから、サポーターのお兄さんによく映画につれて行ってもらっているので、次男は、"慣れている"雰囲気がありました。
一歩一歩、たくさんの人達が次男の中に積み重ねてくださったものが次男の今の生活を支えています。
ありがたいです。
成人している青年が母親と一緒に映画館に来ているって、尋常ではないですが、サポーターと来ると、同年代ですから、とても普通の雰囲気に見えているかもしれません。
でも、たまには、お母さんも確認しておきたいです。
次男ってどんな風に過ごしているのだろう。。。って思っていました。
ーーー追記ーーー「共育」について
小学生のころは、2歳年長の長男と次男と次男の同級生達をつれて「ドラえもん」を見に行くのが恒例でした。
いつも、5,6人を連れて、ワイワイ、ガサガサ、大騒ぎでした。
「ドラえもん」なら観客がジャリンコばっかりなので、騒いでも安心なのでお気楽でした。
次男の同級生達は、次男の両側に座って、次男の手を取って映画を見てくれていました。
面白い場面では大声で笑い、声を出していました。
次男は、同級生から多くを教えてもらっていました。
最強のサポーターでした。
私はそれを後ろの座席に座って見ていました。
学校でもそういう感じだったのだと思います。
次男はとても恵まれた小学生時代を過ごしました。
中学生になると、同級生達は半分大人になり、クラブ活動、高校受験に向かって追いやられていきました。
それでも、同じ中学校に、次男を小学生から、保育所から知ってくれている子がいることがどんなに助けになっていたことでしょう。
いい子達に囲まれて、次男はラッキーでした。
「共に学ぶ」「共に育つ」とはこういうことなのだと思います。
けれど、なにがなんでも、同じ教室、同じ教科学習というのは意味がないと思います。
お互いに、拷問に近いものがあると思います。
それぞれの違いを認めて、それぞれの人に対してその時に必要とする学習や援助を明確にしていくことは、差別ではないと思います。
なにがなんでも「障害児も普通高校へ」という運動の趣旨が私には不毛に思えます。
健常児(定型発達児)と「共に学ぶ」には、健常児(定型発達児)の協力を取り付けなくては成立しません。
小学生のころから同級生のサポーターを作っていますか。
そのうえで、同じ、小学校から同じ中学校から、同じ高校へ進学する子って、何人いるのでしょうか。
その子に3年間の高校生活を援助してくれるように「お願い」できるのでしょうか。
それとも、高校に入学してから新たに出会う友人に「期待」するのでしょうか。
それとも、高校に入学してから新たに出会う先生に「期待」するのでしょうか。
特別支援学校の高等部も過密化していくと思うので、いずれにしても、障害児、発達障害児(この表現は曖昧すぎて無意味だと思います。知的障害のないLD、軽度の知的障害児、くらいに言ってほしいものです。)の中学以降の教育現場は困難を極めると思います。
だから、幼児期や小学生、中学生のころが大切だと思います。



