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うたおじさん-浦島太郎の亀

昨日、美術教室が終わって、デイサービスも終わって、二人で帰ってきました。

電車を降りると、いつも、次男が私のずいぶん先を歩いていきます。
足の長さの差でしょうか。(ーー;)

私がマンションの1階の廊下に入ると、先を行く次男が駆けていて、小さい男児達が歓声を上げて、次男を追いかけていました。

あ、まただ。

足の長い次男は、ポンポンと階段を何段かごとに飛び上がるように上って4階の自宅に帰って行きました。

私は、「ここで、決着をつけておこう。」と思いました。

私たちが住むマンションで、こういう場面は、何度か見ていましたが、いつもは、私が追いつく前に男児達が見えなくなっていました。

二人の男児がいました。
年長の男児に、「君は、どこの子や?このマンションに住んでいる子か?」と声をかけました。

年長の男児が答えるよりさきに、就学前と思われる小さい男児が、「ここの子!」と111号室を指差して、うれしそうの答えました。

「そうか。Iくんか。」と私。

年長の男児は何事か察したのか、姿を消しました。

私は、小さい男児に再度、尋ねました。

私:「君も、Iくんか?」

「違う。僕は、M」

私:「そうか。お部屋はどこなん?」

「6階、エレベーターは5階で降りるねん。」

私:「そうか。ちょっと訊きたいことがあるんやけどなぁ。君ら、さっき、お兄ちゃんを追いかけていたやろう。なんで追いかけていたんや。」

M君:ちょっと顔色を変えて「え!?知らん。うたおじさん!!って言うて追いかけたら逃げるねん。」

私:「なんで追いかけるんや。彼が歌いながら歩いているのは、彼の勝手や。君らには、関係ないことやろ。彼は追いかけられるのは、不愉快なんや。彼にかまうな。」

そこへ年長の111号室のI君が観念した様子で戻って来ました。
何せ、私がM君に説教していたのは、I君の部屋のドアの前なのでした。

私:「君、歌おじさんを追いかけるな。君らには関係ないことや。彼にかまうな。覚えといてほしいな。」
私は、右手の人差し指でIくんの心臓の辺りを押さえました。

I君:「はい。すいませんでした。」

男児達が自分の2倍くらいの身長の次男をこわがりもしないで追いかけていたのは、"この人は、決して自分達に危害を加える人ではない"と本能で感じとっていたからです。
それは、親愛の情ではありません。
次男は、「浦島太郎のお話に出てくる亀」状態だったのです。

次男の体は青年ですが、次男の言語年齢は、2歳児くらいです。

もし、男児達が次男のジーンズにまとわり付いて、次男がそれを振り切って、男児達が吹っ飛ばされたらどうなるのでしょうか。

男児達が、階段を踏み外して落ちてケガをしたらどうなんるのでしょうか。

男児達はケガをした理由を親にどんな言葉で報告するのでしょうか。


次男は、社会からどんな言葉を浴びせられるのでしょうか。

「幼児に乱暴した知的障害者」と言われるのでしょうか。

「檻に入れておけ!」と言われるのでしょうか。



知的障害者の生き難さの形はたくさんありますが、その中のひとつは、コレです。
怖がって近づかないでいてくれた方がいいかもしれません。

でも、人から怖がられるくらいの姿になるのは不利です。
適切な支援が受けられません。

それよりも、なによりも、母親の私が、息子たちをスッキリと清潔で、他者から好感をもっていただけるような姿にしたいのです。

障害の有無は関係ありません。

男児達の「歌おじさん」へのからかいが、これで、止まることを願っています。

私の男児達に対する物言いは、怖かったと思います。
うむを言わせない鋭さがあったと思います。
どうしても、ここで決着をつけたいと思っていました。

"相手は、小さい子達なのにおとなげない。
もっと優しく、説明すべきだ。"という意見もあるでしょが、私はそうは思いません。

今大事なのは、男児達に、私が怒っていること、「うたおじさん」は不愉快に思っていることを知らせることです。

人の動物的本能の中には、残忍性もあります。
それは当然のことです。
誰にでもあります。
それが全く無いのは問題だと思います。

ただ、人は、社会的な動物なので、徐々に「思いやり」を学習していくのだと思います。

"気持ち"の問題だけではなくて、生物学の知識を得るようになれば、自分が生まれてきたのは、気の遠くなるような確立の偶然が重なった幸運な結果なのだということを知ります。

自分は障害を持たず生活しているけれども、障害をもつ可能性もあったのだという事実を知ります。

障害を持たないで、少年期、青年期を過ごしても、老年期では痴呆を含めた障害を持つ可能性があるのだと知ります。

そこでやっと、目の前にいる障害者への視線に変化が生まれるのかもしれません。

そういう変化を迎える以前の少年達は、残酷で当たりまえなのでしょう。

その時代の子ども達に大人が示すべきは、「その行為が ○ か × か」だけで良いと思います。
理屈がわかるのは、ずっと後のことだと思います。

これは、今朝の次男です。
確かに、楽しそうに鼻歌を歌いながら歩いていました。


男児達のいう「歌おじさん」であることは間違いないのですが、「歌おじさん」でいることは、許されて当然の範囲の姿だと思います。


 

 

 

 

次男には、歳をとっても、次男なりの精一杯の能力で、働くことが出来る人であってほしいです。

そこには、「たくさんの人に支えてもらなければならないのだから、次男自身も何かしらお役に立つことをしていかなければならない。」  という想いがあります。

プロフィール

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  • haruko
  • 息子が二人いる母親です。零細企業に勤務しています。長男は、近くのマンションに独立したけれど、食事はシッカリ食べに来ます。次男は、自閉症で知的障害があります。地元の小学校、中学校の養護学級を経て、養護学校高等部を卒業しました。NPO法人の臨時職員で、作業所、デイサービスも利用しています。間違いなく障害者ですが、毎日、楽しそうにしてくれてうれしいです。
  • http://www.ktc-johnny.com/haruko/
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