東京都練馬区の東京外環自動車道で2007年、少年サッカーチームのマイクロバスのドアが開き、小学5年男児が転落し死亡した事故で、バスを運転し自動車運転過失致死罪に問われた引率者の引地功一被告(34)に対する判決が11日、さいたま地裁であった。田村真裁判長は禁固1年6月、執行猶予3年(求刑禁固1年6月)を言い渡した。
同裁判長は引地被告がドアをロックするか、ドアレバーを「手動」から切り替えるかしていれば「児童が転落することはなかった」とし、同被告の過失を認めた。
また、児童らが思わぬ行動を取る恐れのあることや、ドアステップ内に入った者の体が容易にドアレバーに触れる構造を挙げ、「結果の基本的部分を予見することができた」と指摘。「児童の転落は予見できなかった」とする弁護側の無罪主張を退けた。
息子たちが小学生のころ、私は、よく、次男の同級生達、長男の同級生達を引率して出かけた。
自閉症で、知的障害のある次男を知ってほしかった。
仲良くしてほしかった。
次男の同級生達を、次男のサポーターに育てたかった。
「習うより、慣れろ」だと思った。
楽しい時間を過ごしてもらうことで、子供たちの中に、「(障害児の)次男くんと一緒にいても楽しいじゃん!」と知ってほしかった。
彼らにとって、次男は、初めて会った障害児なのだから。
学校の近くの公園に、大型の遊具があって、滑り台、ブランコ、ジャングルジム、ネット登りなど楽しんだ。
大人の介入があると、次男も子供たちも不都合がなかった。
みんなが笑顔でいるところをたくさん写真に撮って配った。
同級生のお母さん達に、我が子が、次男といることを楽しんでいると知らせておきたかった。
映画館に行く時は、いつも数人を引率していった。
小学1年から6年まで、誕生日パーティーをして、電車に乗ってファミリープールへ連れていって、レンターカーを借りて遠出するのは、大学生のお兄さん達、お姉さん達にボランティアで付き合ってもらった。
ボランティアの大学生の人数、能力は申し分なかったが、子供たちが事故がなく、それぞれのお家に帰るまで、私は、緊張していた。
当時は、まだ結婚していて、毎回、元夫に嫌味を言われていた。
「事故があったときは、俺は知らない。巻き込むな。」
もちろん、元夫は、参加しないし、お金の援助もなかった。
早々に、「この人には障害児の親になる才能がない。」と判断していたので、すべては私が手配して実行したことだった。
よく、「天才は、99%の努力と1%の才能」と言われる。
きっと、そうなのだろう。
近しい人に"天才"がいないので、確かめたことがないけれど。。。
障害児の親は、まず「1%の才能」がなければ、「99%の努力」が成立しないように思う。
これは、確かな実感。
子供たちのお母さんたちに、「事故が起こらないように、最善をつくすけれど、とっさのときの判断は任せてね。」とお願いした。
お母さん達は、全員、快くOK!してくださった。
もし、事故が起こっていれば、学校で次男の居場所がなくなると覚悟を決めて実行していた。
私はそれほどに必死だった。
私が子供たちを引率するときに、事故がなくてよかった。
最善を尽くしても、「事故が起こる可能性は0%ではない」と思っていたが、どうしても、試してみたかった。
賭けてみたかった数年間だった。
「次男くんといると楽しい!次男くんと同じクラスになってよかった!」と毎年の同級生達に思ってほしかった。
親の介入が許されるのは、小学校の間だけと思っていたので、小学生の間に全力を尽くしたかった。
私が子供たちを引率するときに、事故がなくてよかった。
家族で出かけても、事故がおきることはあるのだけれど。。。同じ事故でも、パパが運転していた場合と、他者が運転していた場合では、とらえ方が違うのだろうと思う。
我々には、神仏の加護があったのかもしれない。
この少年サッカーチームには、それがなかったのだろうか。
違いはそれだけだろうか。
いや、あの当時、私たちの周りにいてくれた人達が素晴らしかったのだと思う。
同級生達は、可愛い子達ばっかりだった。
大学生は、素敵なお兄さん達、お姉さん達ばっかりだった。
次男の同級生のお母さん達にも優しくしていただいた。
なによりも、「おお!やろう!やろう!」と言ってくれる盟友達がいた。
この時(子ども達が小学生の間)を逃がすな!
と、想いを同じにしてくれる人達がいた。
ありがたかった。



